言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は西郷隆盛の言葉です。彼は、幕末の儒者である佐藤一斎を尊敬していました。佐藤一斎といえば、吉田松陰にも大きな影響を与えたことでも知られます。彼は歴史の流れについて、「天の意思も人間世界のあり方も刻一刻と変化している。それゆえ、歴史の必然的な流れをとどめることはできない。しかし、人間の力ではその流れを早めることもできない」と述べています。
つねに天を意識していた一斎の思想は西郷隆盛に受け継がれ、西郷は「敬天愛人」を座右の銘としました。さらに現在では、鹿児島出身の名経営者・稲盛和夫氏にもその精神は受け継がれています。ある日、陸軍大将であった西郷が、坂道で苦しむ車夫の荷車の後ろから押してやったところ、これを見た若い士官が西郷に「陸軍大将ともあろう方が車の後押しなどなさるものではありません。人に見られたらどうされます」と言いました。すると、西郷は憤然として次のように言い放ったといいます。
「馬鹿者、何を言うか。俺はいつも人を相手にして仕事をしているのではない。天を相手に仕事をしているのだ。人が見ていようが、笑おうが、俺の知ったことではない。天に対して恥じるところがなければ、それでよい」
他人の目を気にして生きる人生とは、相手が主役で自分は脇役です。正々堂々の人生とは、真理と一体になって生きる作為のない生き方です。天とともに歩む人生であれば、誰に見られようとも、恥をかくことはありません。
東洋思想を象徴する言葉に「天人合一」があります。天、つまり宇宙と人生とは別のものではなく、一貫しているという意味です。宇宙には「道」という根本的な法則性があって、宇宙の一員である人間も、そこを外れては正しい人生も幸せな人生も歩むことができません
それに対して、西洋では「天」つまり自然と人間とを対立するものととらえてきました。人間は自然の一部というより、自然は人間が征服すべきものという考え方です。その成れの果てが、地球環境の破壊ではないでしょうか。
西郷隆盛は明治以後で特に人望のあった日本人でした。彼のように、天を相手に正々堂々と生きたいものですね。