代表取締役社長
佐久間 庸和
『トップが綴る わが人生の師』より
わたしの恩師は、前野徹という方です。
わたしが以前勤務していた(株)東急エージェンシーの社長を長く務められました。東急グループの五島昇総帥の右腕として、東急エージェンシーを(株)電通、(株)博報堂に次ぐ業界3位の広告代理店にまで急成長させる一方、政界にも広い人脈を持ち、「東急グループの政治部長」という異名がありました。経済界にも顔が広く、いくつもの団体や勉強会を立ち上げ、つねに誰かを「祝う会」か「励ます会」を企画されていました。
そんな前野氏の座右の銘が、「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」というものでした。
いわゆる「柳生家の家訓」として知られているものですが、わたしはもう何十回、この言葉を故人から聞いたことかわかりません。まさに、袖すり合った縁を生かしに生かした方でした。「無縁社会」などという妄言にわたしが心からの怒りを感じ、さまざまな「有縁社会」の再生を試みるのも、この世は最初から縁に満ちており、多くの者はそれに気づいていないだけなのだという考えを故人から叩き込まれたからかもしれません。
2007年2月21日に青山葬儀所で行なわれた前野氏の葬儀は盛大でした。葬儀委員長が中曽根康弘元首相、友人代表が石原慎太郎東京都知事、伊藤雅俊(株)セブン&アイ・ホールディングス名誉会長、上條清文東京急行電鉄(株)会長の3人でした(肩書きは当時)。
会場には、政財界の超大物の方々も一堂に会していました。
人生の卒業式で、故人が生前に蒔きつづけた「縁の種」が大輪の花を咲かせたのです。 前野氏は、一介の新入社員にすぎなかったわたしに目をかけてくださり、多くのすばらしい方々を紹介していただきました。入社早々に著書も同社から刊行してくださいました。何よりも、今では死語になりつつある「仲人」を引き受けてくださった恩は、いくら感謝してもたりません。葬儀の日、わたしは以下の二首の感謝と送別の歌を詠みました。
「仲人は 親も同じと知りたれば 縁は異なもの ただ有り難し」
「袖をする 縁をも生かす大切さ われに教へし 恩師旅立つ」
わたしは今後も、恩師から学んだ「縁」の大切さを忘れずに生きていきたいと思います。