2013
04
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間 庸和
「海賊とよばれた男に学ぶ
『人間尊重』がミッションだ!」
●『海賊とよばれた男』
『海賊とよばれた男』上下巻、百田尚樹著(講談社)という本が大きな話題を呼び、ベストセラーにもなっています。『宮本武蔵』や『竜馬がゆく』のような青春歴史小説であり、歴史経済小説でもありますが、主人公のモデルは、出光興産の創業者・出光佐三です。
出光興産は、北九州市の門司からスタートしました。現在は病院となっている創業の地は、わが社の「門司港紫雲閣」のすぐ近くです。本当に、歩いて数分の距離であり、近くには「出光美術館」もあります。
地元・北九州に縁の深い実業家・出光佐三の名は幼少の頃から知っていました。何より、佐久間会長が深く尊敬しており、その影響で「人間尊重」というわが社のミッションが決定したそうです。「人間尊重」とは出光佐三が終生口にし続けた言葉だからです。
●「人間尊重」とは何か
出光佐三は96年の生涯の中で、自社の社員に「金を儲けよ」とは一度も言ったことがないそうです。その代わりに「人を愛せよ」と言いました。そして、「人間を尊重せよ」と言いました。この「人間尊重」こそは、出光佐三の哲学を象徴する一語です。
昭和28年4月、新入社員の入社式で出光佐三は次のような訓示を行いました。
「出光は創業以来、『人間尊重』を社是として、お互いが練磨して来た道場であります。諸君はこの人間尊重という一つの道場に入ったのであります」
「人間尊重」といえば、2500年前の古代中国で孔子が説いた「礼」に源流があります。そう、「人間尊重」とは「礼」の別名なのです。それを発見したのが、ほかならぬ佐久間会長です。
●「人間尊重」を唱えた人々
陽明学者の安岡正篤は、「人間はなぜ礼をするのか」について考え抜きました。彼は「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と喝破しました。
また、「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より礼を重んじた人でした。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。
「人間尊重」の思想は、「人が主役」と唱えたドラッカーにも通じます。
●企業とは人間を育成する場
出光佐三は「人間尊重」と「人物養成」を並べて口にしました。これは、第一に「尊重される人間になれ」というメッセージが込められていたのでしょう。彼は「尊重すべき人間になれ。そして、尊重すべき人間というのは平和と福祉を打ち立てる人間だと、こういう意味だ。人間に物を与えたりなにかすることが、人間尊重じゃないよ」という言葉を残しています。
それとともに、企業とは人間を育成する場であるという理念がありました。「人間を育てるのに金を惜しむな」というのも彼の口癖だったそうです。これもドラッカーのマネジメント思想に通じます。
ちなみに、出光佐三は1885年生まれ、松下幸之助は1894年生まれ、安岡正篤は1898年生まれ、そしてドラッカーは1909年生まれと、ほぼ同時代人です。彼らはいずれも「人間尊重」の思想家であり実践者だったのです。
●社会は人間が作ったもの
さらに、出光佐三の「人間尊重」には深い意味が込められています。彼は「社会は人間が作ったものであるから、あくまでも人間が中心でなければならん」と考えました。
彼は「世界にあまたある思想や哲学は、そのどれもが出発点は人間社会が平和で仲良く、幸福に過ごせるところになるために、人はどうすればいいか、どうあるべきかということから始まっているであろう」と考えました。しかし、西洋では神を天の上のものとしているために、「神」と地上で暮らす、生活を共にするという「実行」を伴うことがありません。彼は、「日本の神は人であり、実行者である」と言いました。その点で、西欧では、観念的、抽象的な存在でしかない神が、日本では自らにつながりを持つ祖先であり、隣人たり得るのだというのです。
「祖先」と「隣人」を大切にしていれば心が安定し幸せになれるというのは、わたしの持論です。出光佐三も同じ考えだったと知り、非常に感激しました。
●「人間尊重」の精神を伝える
知れば知るほど、出光佐三ほど偉大な人はいません。そして、彼ほど日本および日本人を愛した人はいません。
1981年(昭和56年)、彼が九六歳で逝去したとき、昭和天皇は故人を偲び次の和歌を作られました。
「人の為 ひとよ貫き尽したる 君また去りぬ さびしと思う」(昭和天皇御製)
「あなたは、戦前戦後の未曾有の国難を日本人のために全身全霊で生き抜き、日本人の誇りを取戻してくれた。そんなあなたが亡くなって、私はさびしいと思う」といった意味でしょうか。天皇が一般人の死を悼んで和歌を詠まれたなど、日本史全体を見渡しても例がありません。どれほど、昭和天皇が出光佐三という方を大切に思われ、その死を惜しんでおられたかがわかります。
この4月、わが社に多くの新入社員が入ってきました。社長であるわたしが彼らに何よりも伝えたいことは、言うまでもなく、「人間尊重」の精神です。
こころざし貫き尽す行き方は
人を尊び人を重んじ 庸軒