第11回
一条真也
「人生を設計する」

 

 先日、北九州市が市制50周年を迎えました。
 わたしももうすぐ50歳の誕生日を迎えます。
 50といえば「知命」の年とされますが、これは『論語』の次の言葉に由来します。
「吾れ十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順(した)がう。
 七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」〈為政篇〉
 あまりにも有名な一節ですが、
「わたしは15歳で学問を志した。30歳のときには独立した。40歳になってから、あれこれ迷わなくなった。50歳になったときには、自分の運命を受け入れられるようになった。60歳でようやく人の言葉を素直に聞くことができるようになった。そして70歳になってからは、自分のやりたいことをやっても、道から外れないようになった」という意味になります。
 孔子は15歳からの人生設計について述べているわけですが、それ以前はどうすればいいのでしょうか。15歳以前は、本人というよりも親から受ける教育が重要です。
 15歳前のライフ・マネジメントを考え、実践したのは江戸時代の日本人でした。
 江戸の町人たちの間では、儒教をベースにした「思いやりの作法」としての江戸しぐさが盛んでした。子どもの躾も「思いやり」を基本としました。
 「子育てしぐさ」といいますが、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末(すえ)決まる」という言葉があります。 江戸の商人たちは、この言葉に表現される段階的養育を実践しました。
 すなわち、3歳までは心を育む。6歳になるまでは手取り足取り口移しで繰り返し真似させる。9歳までには、どんな人にも失礼のないものの言い方で応対できるようにする。12歳では文章を書けるようにし、15歳では物事の理屈をわからせる。
 ここで大事なことは、心、躾、文、理という順番です。心を教える前に、けっして躾をしてはならないのです。
 江戸しぐさから『論語』へ。日本には、このように素晴らしいライフ・マネジメントの智恵があったのです。というわけで、わたしは「知命」を迎える日を楽しみに待つことにします。