第4回
一条真也
「はひふへほの法則を知っていますか?」
みなさんは、「はひふへほの法則」というものをご存知ですか。サンレーグループの佐久間進会長が昨年から唱えている「幸せの法則」です。
佐久間会長は、昨年1月に開催された自身の「喜寿の祝い」の冒頭の挨拶で、東日本大震災後を生きる日本人が幸せになるための「はひふへほの法則」について語りました。それは、以下の通りです。
「は」・・・半分でいい
「ひ」・・・人並みでいい
「ふ」・・・普通でいい
「へ」・・・平凡でいい
「ほ」・・・程々でいい
ある編集者の方によれば、西洋人は「はひふへほ」が発音できないそうです。欧米の人々には子音の「h」がなかなか発音できないというのですが、なんだか「はひふへほ」は日本というか東洋の精神文化そのものとも関わっていそうですね。
また、わたしが浄土真宗の僧侶の方々向けの講演会で講師を務めたとき、この法則についてお話したら、これまた大いに受けました。ぜひ法話で使いたいという方もおられました。
考えてみれば、「はひふへほ」の法則とは「足るを知る」ということです。ということは、ブッダの考え方と同じだと言えるかもしれません。わたし自身も、「はひふへほ」の法則には大いに感心しました。
昨年亡くなられた心学研究家の小林正観氏は、著書『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎)で次のように述べています。
「思いどおりにしよう、思いどおりにしたいと思えば思うだけ、逆に、『感謝』というところからは遠いところにいる。これが宇宙の法則であり、宇宙の真実です。」
「宇宙を味方にする最良の方法とは、ありとあらゆることに不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。否定的、批判的な考え方でものをとらえないこと。これに尽きるのです。」
これは、自分の願望を実現するための「引き寄せの法則」に対する強烈なアンチテーゼではないでしょうか。
たしかに考えてみれば、「思いは実現する」「強い願いは、対象を引き寄せる」のであれば、世の中にガンで死ぬ人も、無実の罪で死刑になる人も、会社が倒産して自殺する経営者もいないはずです。
それらのガン患者、死刑囚、経営者の「生きたい」「無実を明らかにしたい」「会社を潰したくない」という願いはものすごく強烈であるからです。
その人たちは、常人の何十倍、何百倍の強い思いを抱きながら、無念のまま死んでゆくのです。だから、「強い思いを持てば、必ず思いどおりになる」というのは「法則」どころか、きわめて当たりくじの少ない宝くじのようなものです。むしろ、思いが強ければ強いほど宇宙を敵にまわして、ものごとは反対の方向に動いていくのかもしれません。
そして、「引き寄せの法則」のルーツは、明らかにキリスト教の「求めよ、さらば与えられん」にあると思います。その反対の思想が、仏教の「足るを知る」です。
ラテン語で、「現在」のことを「プレゼント」といいます。小林氏によれば、今あるものは全部が神のプレゼントなのです。要求をぶつけて、「何か欲しい」「早く寄こせ」という人がいれば、神はそういう人間にさらなるプレゼントはしません。
わたしは、小林氏の本を読んで、水の入ったコップを連想しました。コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。
前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。そして、「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」仏教的発想においては「まだ半分ある」と思いがちではないでしょうか。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。
大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることです。
そして、これはそのまま佐久間会長の「はひふへほ」の法則につながります。なにしろ、「はひふへほ」の法則の最初は「半分でいい」なのですから!