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一条真也
「團十郎さんの葬儀に思う〜式則是空空則是式」
こんにちは、一条真也です。
歌舞伎界を代表する名役者であった市川團十郎さんが2月3日に66歳で亡くなられました。
その本葬が、2月27日に東京都港区の青山葬儀所で営まれました。歌舞伎界を中心に関係者やファン約2500人が参列されたそうです。わたしもぜひ参列したかったのですが、昨日は会社の大事な会議があり、叶いませんでした。
葬儀の模様は、テレビで観ました。
喪主で長男の市川海老蔵さんは、亡き父がパソコンに残した辞世の句「色は空 空は色との 時なき世へ」を読み上げ、「父が自分の最後を悟っていたのを気づかずに大変申し訳なく、情けない思いがしました」と声を震わせました。
團十郎さんの生前最後の言葉は、「みんなありがとう」だったそうです。
それを明かした海老蔵さんは、「父は皆様に感謝する心をとても大切にする人でした、そんな父に成り代わりまして一言いわせて下さい。皆様、本日は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げました。
わたしはそれを見て、「素晴らしい挨拶だなあ」と感銘を受けました。
そして、「海老蔵は、やっぱり千両役者だ!」とあらためて思いました。
歌舞伎は、世界に誇る日本独自の演劇です。
もともと世界の各地で、演劇の発生は葬儀と深く関わっています。
葬儀とは、世界創造神話を再現したものだといわれます。
1人の人間が死ぬことによって、世界の一部が欠ける。
その不完全になった世界を完全な世界に修復する役割が葬儀にはあるのです。
また、演劇とは王の死の葬送行事として生まれたという説もあります。
葬儀と演劇は非常に近く、ともにこの上なく非日常的なのです。
海老蔵さんは、亡き父である團十郎さんの葬儀の喪主として挨拶することが、市川宗家の跡取りとして、また1人の歌舞伎役者として、一世一代の大舞台であることをよく理解していたように思います。海老蔵さんの独特の間のある挨拶を「芝居がかっている」と思った人もいるそうですが、わたしは「役者なのだから、芝居がかっているのは当たり前ではないか!」と思います。
特に、「息子が私という苦労絶えない人生」の一言は名言でした。
なかなか凡人には言えるセリフではありません。
この一言で、彼はあの騒動の禊を完全に済ませました。
いや、まことに立派な喪主挨拶でした。「成田屋!」と声をかけたくなるほどに・・・・・。
それから、わたしは昨日の葬儀をテレビで観ながら、日本人の「こころ」が見事に表現されているなと思いました。日本人の「こころ」の三本柱といえば、神道・仏教・儒教です。
團十郎さんの葬儀は神葬祭、つまり神道式で執り行われました。
海老蔵さんの挨拶は、まさに儒教の精神に満ちていました。
彼は「私にとりまして、父であり師匠であってかけがえのない存在を亡くしてしまいましたが、父から頂いたこの体、35年かけて伝えてくれた歌舞伎の精神、これを一生かけてこの道で精進したい」と亡き父に誓いましたが、これは儒教の「孝」の思想そのものです。そう、大いなる「生命の連続」の思想です。
そして、團十郎さんの辞世の句は、仏教の思想の核心となるメッセージでした。
「色は空 空は色との 時なき世へ」
素晴らしい辞世の句であると思います。
パソコンに残っていた句を本人の了解なしに「辞世の句」として発表していいのかという問題はありますが、わたしは感動をおぼえました。わたしはつねづね「死生観とは究極の教養である」と思っているのですが、天下の歌舞伎役者・市川團十郎は最高の教養人でした。
じつは、拙著『世界をつくった八大聖人』が2008年4月にPHP新書から刊行されたとき、同時刊行されたのが市川團十郎著『團十郎の歌舞伎案内』でした。團十郎さんの『歌舞伎案内』はPHP新書の通しナンバーで519番、わたしの『八大聖人』は520番と続いています。この520番という数字は、5月20日というわたしの結婚記念日と重なっていたので、強く印象に残っています。歌舞伎界を代表する團十郎さんと同時刊行で本が出せたことが嬉しくて、それ以来、わたしは團十郎さんに御縁と親しみを感じていました。
さて、「色は空 空は色との 時なき世へ」に戻ります。
これは、明らかに『般若心経』の「色即是空空即是色」から作られた句でしょう。「色即是空空即是色」は、この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しており、その本質は空であることを示しています。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということも示しています。
「空」というコンセプトは、ブッダ自らが示した考え方だとされています。大乗とか上座とかを超えた仏教の根幹となる思想と言ってよいでしょう。「空」とは、「からっぽ」とか「無」ということではなく、平たく言えば、「こだわるな」という意味です。『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)で詳しく説明しましたが、この「空」の論理こそは仏教の最重要論理なのです。
では、いっぽうの「色」はどうか。これは、「目に見えるもの」をブッダ流に表現した言葉でしょう。色がついていれば、どんなモノでも見えます。でも、空気は色がないので見えませんね。
ブッダは見える世界を「色」と呼び、見えない世界を「空」と呼んだのです。
でも、見える世界と見えない世界というのは、じつは同じなのです。
なぜなら、見える世界は見えない世界によってできているからです。
原子などは、その最も良い例ですね。この世界は、見えない原子によって成り立っているのですから。
これはなかなか抽象的で難しい考えなので、ブッダは色のある見える世界を「色」と表現し、色のない見えない世界を「空」と表現したのでしょう。今さらながらに卓越した表現センスであると思います。
わたしは、「色」に加えて、見えない世界を目に見せてくれるものがもう1つあると思っています。「色」は「シキ」と読みますが、もう1つの「シキ」がある。
それは「式」、つまり儀式のこと、さらには冠婚葬祭のことです。
今年の1月、わずか1週間の間に義父の葬儀と長女の成人式が行われました。
非常にあわただしい中にも、「家族の絆」というものを強く感じました。
また、家族以外の方々との御縁も強く感じました。
心からの感謝の念を抱きました。そして、思ったのです。
冠婚葬祭とは、目に見えない「縁」と「絆」を可視化するものなのだ、と。
わたしは、1月に「目に見えぬ縁と絆を目に見せる素晴らしきかな冠婚葬祭」という道歌を詠みましたが、本当に心の底からそう思います。
團十郎さんを取り巻く縁と絆は、昨日の葬儀で見事に可視化されました。
「色即是空空即是色」にならえば、「式即是空空即是式」なのです。
わたしは、つねに「なぜ人間は儀式を必要とするのか」と考え続けています。
團十郎さんの辞世の句から、その答えが見えてきたような気がしました。
最後に、偉大なる歌舞伎役者であり、最高の教養人であった市川團十郎さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
2013.3.15