第3回
佐久間庸和
「『世界平和パゴダ』再開」
門司の和布刈公園にある「世界平和パゴダ」を知っているだろうか。日本で唯一のビルマ(ミャンマー)式寺院である。第二次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立された。その目的は「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」である。
戦時中は門司港から数多い兵士が出兵した。映画化もされた竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』に登場する兵士たちだ。残念なことに彼らの一部しか、再び祖国の地を踏むことができなかった。そこでビルマ式寺院である「世界平和パゴダ」を建立して、その霊を慰めようとしたわけだ。しかしウ・ケミンダ大僧正の死後、パゴダは資金難のため、休館されていた。
今年の3月3日、ウ・ケミンダ大僧正の「お別れ会」が門司倶楽部で開かれた。パゴダ建立の最大の立役者である旧門司市の故・柳田桃太郎市長のご令嬢である八坂和子さんのお骨折りで実現した会だった。
そのお世話をさせていただいたご縁で、わたしの父である佐久間進(サンレー会長)がパゴダと関わりを持つことになった。
8月25日にミャンマー大使館を訪れたわたしたち親子は、キン・マゥン・ティン大使とミャンマー仏教界の最高位にあるエンダパラ大長老にお会いした。そして、お二人から父が重大なミッションを授かった。閉鎖されている世界平和パゴダの再開に向けて、ミャンマーと日本の仏教交流組織を正式に発足させ、父が代表に就任するというものだった。
同月28日、北九州に3人のミャンマー僧が来られた。エンダパラ大長老を筆頭に、新たにミャンマーから世界平和パゴダに派遣されたウ・ウィマラ長老とウ・ケンミェイタラ僧である。新しく赴任されたお二人は翌29日の夜から世界平和パゴダで生活を始めた。
つまり、8月29日をもって「世界平和パゴダ」が再開されたことになったのである。
ミャンマーは上座部仏教の国だ。上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もあったが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れる。
現在の日本は韓国・中国・ロシアなどと微妙な関係にあり、国際的に複雑な立場に立たされている。わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国ではないかと思っている。
「寛容の徳」や「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じているのだ。その風は、門司から世界に向かって吹くだろう。