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一条真也
「伊勢神宮にて〜生命エネルギーを与えてくれる聖地」
こんにちは、一条真也です。
東京から沖縄に向かう途中で伊勢に寄り、伊勢神宮を参拝しました。
伊勢神宮といえば日本を代表する神社ですが、来年は20年に一度の式年遷宮が行われるということで大きな注目を浴びています。
式年遷宮に際して、建て替えられる社殿は、じつに65棟。装束や神宝類もすべて一新されるため、その費用は前回(1993年)で約327億円にものぼりました。今回は、なんと約550億円かかるとされています。さすがは日本最大の神社だけあって、スケールが大きいですね。
それにしても、ずいぶん久方ぶりの参拝でした。最初に伊勢神宮を訪れたのは、1990年の12月17日でした。その日、わたしは伊勢市で講演をしました。
当時、プランナーとして翌年に伊勢市で開催される「世界祝祭博覧会」のイベント企画の仕事をしていました。伊勢神宮と東京ディズニーランドの共通点について書いた拙著『遊びの神話』(PHP文庫)を読まれた伊勢市市議会議長(後に市長)の中山一幸さんのお声がけによるものでした。その流れで伊勢市での講演の依頼もお受けしたわけです。そのとき、中山さんのはからいで普通は絶対に入れない最奥部まで入れていただき公式参拝させていただきました。
かつて神宮に参拝したイギリスの歴史家アーノルド・トインビーは、「この聖地において、わたくしは、すべての宗教の根底に潜む統一性を見出す」と述べましたが、わたしも同じ感動を味わいました。
トインビーと同じイギリス人で、やはり伊勢神宮を参拝して感動した有名な人物がいます。
かのジョン・レノンです。ジョン・レノンといえば、誰でも永遠の名曲「イマジン」を連想するでしょう。
1971年に発表されたこの歌には、「天国なんてありゃしないと、想像してごらん。地獄もありゃしない」「そして、宗教もない。そうしたら、みんな平和に生きられるってさ」というメッセージ性の強い歌詞が登場します。その名曲「イマジン」がイギリスの葬式での使用を禁止されているとのニュースが流れました。
冒頭の「天国なんてありゃしないと、想像してごらん」という歌詞が、葬式には不適切だと判断されたというのです。「イマジン」は、アメリカや、ヨーロッパのキリスト教保守派層から、神を否定して、冒涜する歌だとして、強く反撥されているそうです。
オノ・ヨーコの従兄である外交評論家の加瀬英明氏は、著書『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』(祥伝社新書)で次のように書いています。「日本人は宗教に対しておおらかで寛容だが、キリスト教徒のなかには、病的としか思えない、癇性な人が珍しくない。私は『イマジン』は、神道の世界を歌っているにちがいないと、思った。そして、そうジョンにいった。私はジョンに、神道には、空のどこか高いところに天国があって、大地の深い底のほうに地獄があるという、突飛な発想がないし、私たちにとっては、山や、森や、川や、海という現世のすべてが天国であって、人もその一部だから、自然は崇めるものであって、自然を汚したり壊してはならないのだと、説明した」
その後、ジョンとヨーコは靖国神社、さらに足を延ばして、伊勢神宮を参拝したそうです。ヨーコがジョンを連れていったのですが、伊勢神宮を訪れて非常に感動したとか。
伊勢神宮に限らず、いま神社が見直されています。
とくに若い人たちの間で、「パワースポット」として熱い注目を浴びています。
いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。
神道研究の第一人者である宗教哲学者の鎌田東二氏によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。
その穴の開いた多くのパワースポットの中でも、「日本一のパワースポット」が伊勢神宮です。
お伊勢祭りで有名な伊勢神宮。この名はじつは通称で、正式にはたんに「神宮」と呼ばれます。
神宮といえば伊勢神宮。特徴は天皇が主宰者という点で、古代は、個人参拝は禁止。皇室や国家にかかわる祈願だけがなされていました。
その伊勢神宮には、ふたつの正宮があります。内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)です。内宮では天照大神と、そのご神体である八咫鏡(三種の神器のひとつ)をまつり、外宮では、天照大神の食事の世話をする豊受大御神をまつっています。また内宮では、天手力男命と万幡豊秋津姫命も一緒にまつっています。
じつは、伊勢神宮は、このほかに数多くの別宮、摂社、末社、所管社からなっています。
その総数は、じつに125。これらすべてを合わせて伊勢神宮なのです。
伊勢神宮の魅力、なかでも内宮の魅力は、社殿などの建物よりも、正殿までの道のりにあります。
かつて伊勢神宮を訪れた西行法師は、その気持ちをこう歌いました。
「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさになみだこぼるる」
たしかに、ここには「ありがたさ」を感じる何かがあるのです。
五十鈴川に架った宇治橋を渡って下をみると、清らかな流れのなかに真紅の鯛が泳いでいます。
真っ白な鳥居をくぐると、右折したところに御手洗場があります。
ここで手を清めると、心の中まで清々しい気分になります。
さらに、玉砂利をさくさくと踏んで参道を進みます。周りには樹齢600年以上の大きな杉が立ち並び、地面には真っ白な神鶏が群れています。そして神苑の一番奥には、ヒノキの素木造りで、カヤぶきの屋根という、唯一神明造りの正殿が立っているのです。ここまで歩いてくる間に、参拝者は、まさに西行法師が感じたように、何か壮重な気持ちにさせられます。
伊勢神宮に限らず、わたしは疲れたときなど、よく神社に行きます。
何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。
ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。
また、神社はさまざまな願いをかなえてくれる場所でもありますね。
わたしは、しばしば志を短歌に詠み、神社に奉納します。
不思議とその後は物事が順調に進み、願いがかなうような気がしています。
八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。
まったく神社ほど平和な場所はありません。
伊勢神宮や出雲大社には心御柱がありますが、すべての神社は日本人の心の柱だと思います。
2012.11.1