〜人間の営みの基本にある『死者への想い』」
こんにちは、一条真也です。
昨年に引き続き、今年の夏も猛暑でしたが、もう9月になりました。
8月12日、ロンドンオリンピックが閉幕しました。「今年の夏は、とにかくオリンピックのTV観戦に明け暮れた」という方も多かったのではないでしょうか。
ロンドンオリンピックは、7月7日午後9時(日本時間28日午前5時)、ロンドン市東部の五輪スタジアムで開会式を行い、4年に1度のスポーツの祭典が幕を開けました。
このロンドンオリンピックには204の国と地域から約10500人の選手が参加し、17日間で26競技302種目で頂点を争いました。
近代オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンによって1500年ぶりに復活しました。詳しくは拙著『遊びの神話』(東急エージェンシー、PHP文庫)に書きましたが、古代ギリシャにおけるオリンピアの祭典は、勇士の死を悼む葬送儀礼として発生したそうです。そこには、戦争の代用としてのスポーツで競い合うことによって「平和」を願う心があったように思います。
1992年にスペイン・バルセロナで夏季五輪が開催されたとき、わたしは某全国紙に「冷戦終結後の五輪」というタイトルで寄稿したことがあります。
その文章は、『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)に収録されています。
その冒頭に、わたしは「今年(1992年)のオリンピックは湾岸戦争で亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬儀という非常に重要な意味を持つと思う。また、両大会は東西の冷戦終結後、初のオリンピックとして長く記憶にとどめられるだろう」と書きました。 また最後には、次のように書いています。
「言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典だ。ノーベル平和賞受賞者で第7回アントワープ大会の陸上銀メダリストでもあるイギリスのノエルベイカーは、オリンピックを『核時代における国際理解のための最善のメディア』と述べた。古代のオリンピア祭典は民族統合のメディアとして利害の反する各ポリスの団結を導いた。現代のオリンピックは世界の諸民族に共通する平和の願いを集約し、共存の可能性を実証しながら発展を続けている。最大のコンセプトは、やはり『平和』。われわれ宇宙船地球号の全乗組員は、諸宗教を超える普遍的な『平和教』の信者であるべきだ。4年に1度のオリンピックからその未来宗教が垣間見える」
あれから、もう20年が経過したわけですが、わたしの考えはまったく変わりません。
開会式で「驚きの島」に見立てられた会場に続々と入ってくる中国や北朝鮮やブータンやその他多くの国々の国旗を見ながら、わたしは「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮澤賢治の言葉を思い出していました。
そして8月12日、熱戦を繰り広げたロンドンオリンピックは閉幕しました。懸念されたテロも発生せず、大会運営に大きな混乱もないまま17日間の会期は無事に終了しました。
大会最終日、レスリング男子フリースタイル66キロ級の米満達弘(自衛隊)が優勝しました。レスリング日本男子としてはソウル五輪以来、24年ぶりの金メダル獲得です。
また、11日に行われたボクシング男子ミドル級の決勝では、村田諒太(東洋大職)が日本勢としては48年ぶりとなる金メダルを獲得しました。
重量級であるミドル級での金は本当にすごい!
米満選手にしろ村田選手にしろ、日本男児は強かった!
わたしが何より嬉しかったのでは、レスリングとボクシングは格闘技の原点である「パンクラチオン」が分かれたものであり、それぞれ組み技系と打撃系の頂点に位置する競技だからです。パンクラチオンは、古代オリンピアの最大の花形競技でした。 男子だけではなく、日本の女子も強かった!
柔道女子57キロ級の松本薫選手、レスリング女子48キロ級の小原日登美選手、55キロ級の吉田沙保里選手、63キロ級の伊調馨選手も金メダルに輝きました。
特に、吉田選手と伊調選手は3連覇という偉業を成し遂げました。
今回、7人誕生した金メダリストのうち、体操の内村航平選手以外は柔道・レスリング・ボクシングと全員格闘技の選手でした。日本は、いまや世界に冠たる「格闘大国」ですね。
残念なのは、柔道の男子で金メダリストが出なかったことです。
講道館の創始者である嘉納治五郎講道館は、日本のオリンピック参加における最大の功労者でもあっただけに残念です。もっとも嘉納治五郎のめざした柔道は、きれいな一本が取れる「美しい柔道」、相手を思いやる「礼の柔道」、すなわち「武道としての柔道」であり、現在のようなポイント制の「スポーツ柔道」ではなかったとは思いますが。
それにしても、今大会では日本勢が大活躍しました。
今大会での日本の金メダルは7個で、「15個以上」とした目標には届きませんでした。
しかしながら、メダル総数は2004年アテネ大会を上回る史上最多の38個に達し、25個にとどまった前回の北京大会から大きく盛り返しました。
古代ギリシャにおけるオリンピックの発生に自国の大量の死者を弔う葬送儀礼の意味があったのならば、今回のロンドン五輪における日本勢は、東日本大震災の犠牲者の供養を大いに果たしました。
それにしても、葬儀から派生したオリンピックが終わった日に、日本列島がお盆に突入するというのも感慨深いですね。わたしたちは、常に死者とともに生きています。
そして、人間の営みの基本には「死者への想い」があります。
わたしはロンドンオリンピックの閉会式をテレビで観ながら、そんなことを考えました。