第2回
一条真也
「人は学問で成長する」

 

 「何かを学ぶ」「勉強する」と聞くと、みなさんはどう思われますか。もしかしたら、会社からの命令で個人的にいらない資格を取ったり、試験のために知識をつめこんだりなど、イヤイヤやらされる大変なことと思っている人も多いのではないでしょうか。でも本来、「学ぶ」ことは、とても楽しいことなのです。
 『論語』は全部で20篇から成っていますが、その第一が「学而篇」であり、冒頭には次のあまりにも有名な言葉が出てきます。
 「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。
  朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。
  人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。」    〈学而篇〉
 これは、以下のような意味となります。
 「学んだあと復習すれば、理解がますます深まり楽しい。また、何かを学んでいると、同じ道を歩む友人ができて、それもとても楽しい。もし、自分が学んでいることを他人が理解してくれなくても、怒ってはいけない。人は人、自分は自分だ」
 逆に言うと、イヤイヤ学ぼうとしても、何も身につきはしません。仕事にしても、学校の勉強にしても同じことです。自分から進んで取り組まなければ、こなすだけのスキルがあっても、望む結果は得られません。
 もっとも、「学ぶ」というと、本をたくさん読んだり、ひたすら学問に邁進したりすることを目的にしていると思うかもしれません。
 ところが、本当はそうではありません。親や上司、友人など、身近な人たちとのコミュニケーションからも学ぶべきことは多いのです。
 「弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹しみて信あり、
  汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば、則ち以て文を学ぶ。」    〈学而篇〉
 「家では親に孝行して、外ではつつしみ深くしなさい。それで、できるだけ多くの人に親切にすれば、自然といろいろなことが学べる。それを全部やったうえで、まだ余裕があれば、そのときはじめて本を読めばいいんだ」
 つまり、ガリ勉になるなということです。
 その前に、親孝行など、人としてやるべきことがあります。それができないような人間は、いくら勉強してもムダだと言えるでしょう。