第2回
一条真也
「『論語』を読んで幸せになろう!」
わたしが40歳になる直前のことです。
不惑の年を迎えるにあたり、何をすべきかといろいろ考えましたが、「不惑」なる言葉が『論語』に由来することから、『論語』を精読することにしました。
わたしは38歳のときに、冠婚葬祭を業とする株式会社サンレーの社長に就任しました。冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神です。では、「礼」とは何でしょうか。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということです。自らの事業に根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもあり、『論語』を読むことにしたのです。
学生時代以来久しぶりに接する『論語』でしたが、一読して目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた、さまざまな問題の答えがすべて書いてあるように思えたのです。江戸時代の儒者である伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と呼び、安岡正篤は「最も古くして且つ新しい本」と呼びましたが、本当に『論語』一冊あれば、他の書物は不要とさえ思いました。
そこで40になる誕生日までに『論語』を40回読むことに決めました。それだけ読めば内容は完全に頭に入るので、以後は誕生日が来るごとに再読することにします。つまり、わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読んだことになります。何かの事情で私が無人島などに行かなくてはならないときには迷わず『論語』を持って行きますし、突然何者かに拉致された場合にも備えて、つねにバッグには『論語』の文庫本を入れておきます。
こうすれば、もう何も怖くないし、何にも惑いません。何のことはない、私は「不惑」
の出典である『論語』を座右の書とすること
で、「不惑」を実際に手に入れたのです。
孔子は、紀元前551年に生まれました。ブッダとほぼ同時期で、ソクラテスより80数年早いわけです。孔子とその門人の言行録が『論語』です。『聖書』と並び、世界で最も有名な古典です。
『論語』は、千数百年にわたって私たちの先祖に読みつがれてきました。意識するしないにかかわらず、これほど日本人の心に大きな影響を与えてきた書物は存在しません。特に江戸時代になって徳川幕府が儒学を奨励するようになると、必読文献として教養の中心となり、武士階級のみならず、庶民の間にも普及しました。
儒教などというと、堅苦しくストイックな印象があるかもしれませんが、孔子は大いに人生を楽しんだ人だったと思います。
『論語』には「楽しからずや」とか「悦ばしからずや」といったポジティブな言葉が多く発見できます。仏典や聖書には人間の苦しみや悲しみは出てきても、楽しみや喜びなど見当たりません。『論語』にポジティブな言葉が多いのは大いに評価すべき点でしょう。
音楽を愛し、酒を飲み、グルメでファッショナブルだった孔子。そのうえ、2500年後の人間の心をつかんで離さないほど「人の道」を説き続けた孔子。『論語』に出てくる孔子は完全無欠な聖人としてではなく、血の通った生身の人間として描かれているのです。
わたしは、人類が生んだあらゆる人物の中で孔子をもっとも尊敬しています。孔子こそは、人間が社会の中でどう幸せに生きるかを考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。
さあ、あなたも人間関係を豊かにして幸せになるために、『論語』を読んでみませんか?