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一条真也
「タイタニック号沈没100周年

 〜死者を絶対に忘れない」

こんにちは、一条真也です。
2012年4月15日は、タイタニック号が沈没してから、ちょうど100年目でした。
その日は、わたしにとっても特別な日でした。なぜなら、わたしは大のタイタニック・マニアだからです。
小学生の頃に『タイタニック号のさいご』という子ども向きの本を読みました。
ウォルター・ロードのノンフィクションの名作『タイタニック号の最期』を子ども向けに書き直した本でした。以来、その魅力に取りつかれ、わたしはタイタニックに関するあらゆる本を読み、映画をはじめとした映像を見てきました。
わたしは、現代人の「死」や「葬」といったテーマを考える上で、100年前のタイタニック号の沈没は非常に重要であると思っています。
豪華客船タイタニック号は、「科学技術」の時代としての「20世紀のシンボル」として誕生しました。
しかし、1912年4月14日の深夜に悲劇的な沈没事故が起こり、タイタニックは「死のシンボル」として決定づけられたのです。
実際に、人類史上最大の海難事故として1513人という空前の死者を生み、結果として世界の葬儀産業の発達に一役買いました。
そして、沈没から2年後の1914年には第一次世界大戦が勃発し、第二次世界大戦と併せ、20世紀は大量に人間が死ぬ「大量死」の世紀となりました。
タイタニック号の沈没は、メーテルリンクや宮沢賢治といった世界中の文学者にも大きな影響を与えましたが、何よりも現代にまで及ぶスピリチュアリズム(心霊主義)を普及させたことが特筆すべきでしょう。タイタニック号沈没という未曾有の悲劇の文化史的意味、そして人類の「こころ」にどのような強い影響を与えたかに強い関心があります。
特に、大量の水死者を回収して埋葬したわけですが、このときイギリスのフューネラル産業の各種の技術が進んだように思います。当時の経験は、このたびの東日本大震災の津波における被害者の場合でも、いろんな形で生かされたように思います。
じつは、わたしは『タイタニックとは何か~大量死の時代の始まり』という本を書く準備をしていた時期がありました。多忙なスケジュールのため、結局は断念しましたけれども。
14日から15日に日付が変わる直前には、映画「タイタニック3D」を観ました。
わたしも、すでに映画「タイタニック」は10回ぐらい観ていますが、3D版は新鮮でした。
本当に海難事故を疑似体験しているような感覚に陥りました。
オリジナルは、言うに及ばず、ジェームズ・キャメロン監督・脚本の1997年のアメリカ映画です。実際のタイタニック号沈没事故をめぐって、上流階級の娘ローズと貧しい画家志望の青年ジャック・ドーソンの悲恋を描いています。
ローズはケイト・ウィンスレット、ジャックはレオナルド・ディカプリオが演じています。
ストーリーは、タイタニック号沈没の史実を交えて展開します。
前半はラブストーリー大作、後半はパニック大作といった趣ですが、194分という長時間をまったく飽きさせない脚本はさすがですね。
久々に、この壮大なメロドラマを3Dで観賞したわたしは、この作品のテーマはまさに「愛」と「死」に他ならないと思いました。小説にしろ演劇にしろ映画にしろ、大きな感動を提供する作品は、「愛」と「死」という2つのテーマを持っています。 古代のギリシャ悲劇からシェークスピアの「ロミオとジュリエット」、そして「タイタニック」まで、すべて「愛」と「死」をテーマにした作品であることに気づきます。
「愛」は人間にとって最も価値のあるものです。
しかし、「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿は決して見えてきません。
そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。
「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭を明らかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。
「死」があってこそ「愛」が光り、そこに感動が生まれるのです。
逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。
ラ・ロシュフーコーという人が「太陽と死は直視できない」と有名な言葉を残しています。
たしかに太陽も死もそのまま見つめることはできません。
しかし、サングラスをかければ太陽を見ることはできます。同じように「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。
誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。
しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができるのです。
いずれにせよ、「愛」も「死」も、それぞれそのままでは見つめることができず、お互いの存在があってこそ、初めて見つめることが可能になるのでしょう。
「死」といえば、沈没する豪華客船の船内を逃げ惑う乗客たちの姿を見ると、やはりどうしても、東日本大震災の犠牲者のことを連想してしまいます。また、「不沈船」とまで呼ばれたタイタニックが沈む想定外の出来事からは、福島第一原発の事故を連想しました。ともに「安全神話」が崩壊したわけです。
あと、水死者をリアルに描いていることに今更ながら感心しました。
凍える大西洋の海に、まるで吸血鬼のような蒼白い表情で浮かぶ多くの水死者たち。
そこには、赤ちゃんを抱いた若い母親の姿もあり、観客の涙を誘います。
そして、夥しい数の水死者たちが海上に漂う様子は、やはり東日本大震災の津波で亡くなった犠牲者の方々を思わずにはいられません。「タイタニック3D]を観た多くの日本人の心の中で、100年前の大西洋と昨年の三陸の海がつながったのではないでしょうか。
タイタニック号の生き残りである老女ローズの回想談は、多くの死者たちの無念さを思い起こさせ、観者の涙を誘います。しかし、考えてみれば、タイタニック沈没の2年後に勃発した第一次世界大戦だって、第二次世界大戦だって、昨年の東日本大震災だって、多くの人々が無念のうちに死んでいきました。
わたしたちは、けっして死者たちのことを忘れてはならないと思います。
最後に、ローズが「碧洋のハート」を海に投げ入れた行為を「死者を絶対に忘れない」というメッセージだと受け取ったのは、わたしだけでしょうか。
2012.5.1