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一条真也
「父の喜寿祝い〜神に近づいていく『神化』」

 

こんにちは、一条真也です。
先日、サンレーグループ会長である父・佐久間進の「喜寿」の祝いが行われました。
まず、ホテルで社外のお客さまを招待して「喜寿を祝う会」を開催しました。
最初に、佐久間会長が沖縄の長寿祝いの衣装を着て、舞台に登場。
まずは、ご参集いただいた方々に御礼の挨拶をしました。
会長は、「ここまでの人生を振り返ると、どこに行っても大変でした。何を始めても大変でした。 そして、いくつになっても大変です。でも、すべてを陽にとらえて、これからも精一杯に生きていきます。今が一番幸せです!」と語っていました。また、ご参集下さった多くのみなさんから喜寿を祝っていただく「縁」を得たことに心からの感謝の言葉を述べました。
そして、幸せになるための「はひふへほ」の法則について語りました。すなわち、「半分でいい」「人並みでいい」「普通でいい」「平凡でいい」「ほどほどでいい」の心です。
また、「縁」「援」「宴」「園」「円」の5つの「エン」の重要性についても説きました。
続いて、わたしが挨拶しました。わたしは、「父の喜寿をお祝いいただき、佐久間家の長男として心より御礼を申し上げます」と述べました。
それから、来賓を代表して京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生が挨拶をされました。鎌田先生は「佐久間会長は國學院の先輩です。折口信夫らが理論国学者だとしたら、佐久間会長は応用国学者だと思います。先程の『はひふへほ』の法則といい、わかりやすい説明と実践には感服しております」と述べられ、それから祝いの法螺貝を吹いていただきました。
じつは、家族での喜寿祝いは、昨年の夏に行いました。
帰省している長女が加わったわたしの家族も揃って出席しました。
弟の家族も集まり、久々にファミリー全員集合となりました。
日本には、長寿祝いというものがあります。
61歳の「還暦」、70歳の「古稀」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」、などです。そのいわれは、次の通りです。
還暦は、生まれ年と同じ干支の年を迎えることから暦に還るという。
古稀は、杜甫の詩である「人生七十古来稀也」に由来。
喜寿は、喜の草書体が「七十七」に似ている。
傘寿は、傘の略字が「八十」に通じる。
米寿は、八十八が「米」の字に通じる。
卒寿は、卒の略字の「卆」が九十に通じる。
そして白寿は、「百」から「一」をとると、字は「白」になり、数は99になるわけです。
父は大の沖縄好きで、よく那覇や石垣島を訪れています。
沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝います。
わたしは長寿祝いにしろ生年祝いにしろ、今でも「老い」をネガティブにとらえる者が多い現代において、非常に重要な意義を持つと思っています。
それらは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれるからです。
そう、それは大いなる「老い」の祝宴なのです。
神道は、「老い」というものを神に近づく状態としてとらえています。
神への最短距離にいる人間のことを「翁」と呼びます。
また7歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。
つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、それゆえに神に近づく「老い」は価値を持っている。だから、高齢者はいつでも尊敬される存在であると言えます。
アイヌの人々は、高齢者の言うことがだんだんとわかりにくくなっても、老人ぼけとか痴呆などとは言いません。高齢者が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために一般の人間にはわからなくなるのだと考えるそうです。
これほど「老い」をめでたい祝いととらえるポジティブな考え方があるでしょうか。 「老い」とは人生のグランドステージを一段ずつ上がっていって翁として神に近づいていく「神化」に他ならないのです。
かつて、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、「哲学とは、死の学びである」と言いましたが、「死の学び」である哲学の実践として2つの方法があると思います。
1つは、他人のお葬式に参列することです。
もう1つは、自分の長寿を祝ってもらうことです。
神に近づくことは死に近づくことであり、長寿祝いを重ねていくことによって、人は死を想い、死ぬ覚悟を固めていくことができます。もちろん、それは自殺とかいった問題とはまったく無縁であり、あくまでもポジティブな「死」の覚悟です。
人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として自分は必ず死ぬのだという運命を受け入れる覚悟を持つ。
また、翁となった自分は、死後、ついに神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあります。
そういった意味で、長寿祝いとは生前葬でもあります。
冠婚葬祭業界の中でも、特にわが社はこれまで長寿祝いに力を入れてきました。
わたしは、この長寿祝いという、「老い」から「死」へ向かう人間を励まし続ける心ゆたかな文化を、ぜひ世界中に発信したいと思っています。
東日本大震災以来、「家族」の大切さが見直されています。
このように長寿祝いを開くことは、「血縁」の絆を強く結び直すためにも大切ではないかと思います。
2012.2.1