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一条真也
「オウム裁判の終結〜日本人のこころの混乱」
こんにちは、一条真也です。
11月21日、新橋にある(社)全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)本部で広報・渉外委員会を開催しました。
委員長として数多くの議題に向き合いましたが、大きな案件として来年1月に新横浜の「ソシア21」で開催される「無縁社会シンポジウム」について打ち合わせました。
このシンポジウムは全互協総会にあわせて開催されるものですが、豪華メンバーが集います。まず、日本を代表する宗教学者である島薗進氏(東京大学大学院教授)、神道ソングライターでもある宗教哲学者の鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授)、「パラサイト・シングル」や「格差社会」などの造語で知られる家族社会学者の山田昌弘氏(中央大学教授)、「隣人愛の実践者」と呼ばれる奥田知志氏(NPO法人・北九州ホームレス支援機構理事長)、そして不肖わたしが参加し、コーディネーターはイー・ウーマン代表の佐々木かをり氏です。
無縁社会を乗り越え、新しい「絆」をつくるための座談会となることを願っています。
会議を終えたわたしは、全互協本部を後にして新橋駅へと向かいました。駅のKIOSKで夕刊の見出しを見ると、そこには「オウム裁判、終結」と大きく書かれていました。
記事によると、21日に地下鉄サリン事件や松本サリン事件など、オウム真理教が起こした一連の凶悪事件の刑事裁判が終結しました。
起訴された教団幹部や信徒は計189人にのぼりました。同日、最後に残っていた元幹部・遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は死刑とする判決を宣告しました。
オウム真理教の元代表の「浅原彰晃」こと松本智津夫死刑囚(56)が逮捕された1995年5月から終結までの期間は16年半に及びました。
松本死刑囚をはじめ11人の元幹部の死刑がすでに確定しています。18日に上告が棄却された中川智正被告(49)と、この日の遠藤被告は、判決の訂正を申し立てることができます。しかし、認められる可能性はほとんどなく、死刑が確定するのは確実です。
計13人の死刑確定は、1つの組織が起こした事件では戦後最多です。また、死刑の他にも5人の無期懲役が確定しています。まさに日本の歴史に残る大事件でした。
わたしは、その日の会議で討論した「無縁社会」の問題も、オウム事件と無関係ではないと思っています。それは、オウム真理教を擁護した某宗教学者がその後、葬式無用論や無縁社会肯定論を展開したなどというレベルではなく、オウム事件によって日本社会が一気に「アノミー」へと突入したように思えるからです。そして、その根底にはオウムが日本仏教の存在意義を揺るがしたという事実がありました。
「アノミー」とは、フランスの社会学者エミール・デュルケムの用語であり、普通は「無規範」「無秩序」などと訳されますが、それはむしろアノミーが引き起こす結果です。
アノミーの本質を一語で定義すれば「無連帯」となるでしょう。人と人とを結びつける連帯(ソリダリテ)が失われ、人々は糸の切れた凧のようになって社会をさまよいます。孤独、不安、狂気、凶暴・・・・・気弱な人間は死にたくなります。いや、本当に死んでしまうのです。アノミーは、19世紀に哲学者のキルケゴールが「死に至る病」と呼んだ絶望に通じ、どんな病気よりも恐ろしいと言えます。
少年や若者の心だけが病んでいるという話ではありません。社会のトップ、政治家や経営者だってアノミーに陥っている者は多いと言えます。
かくして、日本社会はアノミーに冒され、タガのはずれた桶のようになりました。
このアノミーという病を撃退する役割は、本来、宗教に求められるものです。
わたしが思うに、アノミーとは一種の「無意味病」であり、強大な物語装置、神話装置としての宗教こそが世界に意味を与え、人生に意味を与えることができるのではないでしょうか。
それが「仏教」を名乗るオウム真理教の前代未聞の凶悪犯罪によって、宗教そのものへの信頼が失われ、日本社会はアノミーに陥ってしまった。それが日本仏教への不信ともつながって、「葬式は、要らない」とか「無縁社会」といった負のキーワードが登場した大きな原因ではないかと思います。
1995年に空前のテロ犯罪を犯したオウム真理教は「仏教」を名乗っていました。
仏教学者の玉城康四郎は、巨視的なスケールを持った著書『仏教の根底にあるもの』(講談社学術文庫)に次のように書いています。
「聖徳太子から空海までまさに二百年、空海から鎌倉まで四百年、鎌倉から今日まで八百年。いったい、二百年、四百年、八百年というのは何を意味するのであろうか。それは、仏教の展開をも含めて日本思想のさまざまな、複雑な諸問題をはらんでいることはいうまでもあるまい。しかし、鎌倉から今日までの八百年は、前の二百年、四百年に比べて、日本仏教として余りにも不毛であったことは隠し得ないであろう」
この文章が書かれたのは1973年ですが、事態は変わっていません。
いや、それどころか日本仏教は、オウム事件という途方もない「業」を抱え込んでしまいました。
わたしたち日本人は、新しい人間の問題の中で、新しい仏教を生み出さなければなりませんでした。
その結果が、あの不幸な事件だとしたら、あまりにも虚しいですね。
もちろん、そもそもオウムは仏教ではなかったという見方もできます。オウムは地獄が実在するとして、地獄に堕ちると信者を脅して金をまきあげ、拉致したり、殺したり、犯罪を命令したりしました。
本来の仏教において、地獄は存在しません。魂すら存在しません。存在しない魂が存在しない地獄に堕ちると言った時点で、日本の仏教者が「オウムは仏教ではない」と断言するべきだったのです。ましてやオウムは、ユダヤ・キリスト教的な「ハルマゲドン」まで持ち出していたのです。
わたしは日本人の宗教的寛容性を全面的に肯定します。
しかし、その最大の弱点であり欠点が出たものこそオウム真理教事件でした。
松本智津夫に死刑判決が出たとき、わたしは五木寛之氏のごとく、悪人正機を唱えた親鸞に問うてみなければならないと思いました。
「御聖人、浅原彰晃もまた往生できるのでしょうか」と。
無縁社会に葬式無用論・・・・・日本人の「こころ」の混乱はまだ収まっていません。
そう、裁判は終結しても、オウム問題はまだ終わっていないのです。
2011.12.1