第42回
一条真也
『もう、ひとりにさせない』奥田知志著(いのちのことば社)

 

 牧師である著者は、ホームレスの人々の支援活動を続けています。
 ギリシャ語の「アガペー」は「無償の愛」とされます。クリスチャンは常にこの「愛」を意識すべきであり、自己愛に完結してはなりません。
 著者は、夜になると路上で寝るホームレスの人々に声をかけて回ります。夜回りをした数時間後、著者は彼らを路上に残したまま自宅の暖かい部屋に戻り、子どもたちが眠るベッドにもぐり込みます。
 ついさっきまで、路上生活者たちに親身に声をかけていた自分が暖かい寝床にいることに対し、「私はいったい何をやっているんだろう」と自問するそうです。
 ですから、著者はホームレス支援の現場でアガペーを実践しているのではなく、それどころか全く逆で、夜間パトロールのたびに、自分がいかにアガペーから程遠い存在であるかを思い知らされるというのです。著者のホームレス支援には覚悟があり、「筋金入り」なのです。
 ホームレス支援において重要なのは、「ハウスレス」と「ホームレス」という二つの困窮という視点だそうです。
 ハウスレスは「家」に象徴される、食糧、衣料、医療、職などあらゆる物理的困窮。ホームレスは「家族」に象徴されてきた関係を失っていること、すなわち関係的困窮。著者は、この二つの視点から困窮者の支援を行ってきました。
 著者の視線は今、東日本大震災の被災者へと向っています。傷ついた多くの人を癒すことは容易ではないとしながらも、著者は本書の「あとがき」で述べます。
「理由なき苦難は、私たちを自責へと向わせる。家族を助けてやれなかった悔しさ、弔うことさえままならない現実。皆、自分を責める。時に愛は、そのような表現をとる。だが、そうせざるを得ないのなら私も一緒に苦しみたい」
 本書によく出てくる「傷」という言葉は「絆」という言葉に結びついています。長年支援の現場で著者が確認し続けたことは、「絆」には「傷」が含まれているという事実だというのです。 
 誰かが自分のために傷ついてくれる時、自分は生きていてよいのだと知ります。同様に、自分が傷つくことによって誰かが癒されるなら、自分が生きた意味を見出せるというのです。
 著者が提唱した「絆プロジェクト北九州」によって、多くの東北の被災者の方々が北九州に移住してこられています。北九州市が真に「ハートフル」都市をめざすなら、まさに正念場でしょう。微力ながら、わたしも協力させていただきます。