第3回
一条真也
「心をつなぐ古いラジカセ」
今回は京都府八幡市にお住まいのBさんのエピソードをご紹介したいと思います。
Bさんは30代前半の男性なのですが、一昨年から吹き荒れた不況の波に飲まれ、昨年2月に職を失ってしまいました。いわゆるアメリカのリーマン・ショックに端を発する「100年に1度」の不況の犠牲になったわけですね。
無職になり、人間不信にも陥ったBさんはアパートに引きこもる生活を送っていたそうです。そんなとき、隣の部屋から毎日午後11時になると元気な笑い声が聞こえてきました。
隣に住んでいたのは老夫婦です。2人とも80歳を越し、おじいさんは全盲のようで、自宅でマッサージの仕事をしていました。
ある日、廊下で老夫婦と出くわしたBさんは思わず、次のように尋ねてみました。
「いつも何を見て笑っているのですか?」
すると、目が不自由なおじいさんの手を引いていたおばあさんは、優しい笑みを浮かべてBさんを自宅に招いてくれました。
そこで見せられたのは1台の古いラジカセでした。おばあさんが再生ボタンを押すと、小学生くらいの男の子の声が流れ出しました。男の子は一昔前に流行った芸人のギャグを連発し、その声を聞いた老夫婦は笑い出しました。
それは、ずっとBさんが夜間に聞いていたあの笑い声でした。
「この声は亡くなった孫の声なの」
聞けば、老夫婦のお孫さんは12年前に亡くなったそうです。わずか11歳。小児がんでした。病床の自分を心配して元気のなくなった祖父母を元気にさせるために、その子は明るい声を録音して、老夫婦にプレゼントしたそうです。
おじいさんたちは、そのテープを孫が亡くなった午後11時に毎日聞くようになりました。
「生きたくても生きられなかった孫のために、生きられる私たちは毎日頑張って生きないと」
おばあさんのその言葉がBさんの胸に突き刺さりました。Bさんは、もう一度人生をやり直すために恥を忍んで実家に戻りました。そして、親の紹介で新しい仕事に就いたそうです。
「あの時、隣から笑い声が聞こえなかったら、私の人生は大きく変わっていたと思う」
Bさんは、そのように思ったそうです。
その後、おじいさんたちが老人介護施設に入ったことBさんは風の便りで聞きました。今も、あのテープを聞いて元気に笑っているのかもしれませんね。