第41回
一条真也
『超思考』北野武著(幻冬舎)

 

 今や「世界のキタノ」となった著者が、政治、教育、芸術などをはじめ、最近の日本で気になった出来事についての考えを縦横無尽に綴ったエッセイです。
 ものすごい猛毒を含んだ本かと思っていたのですが、著者は正論しか言っていませんでした。でも、ただの正論に終わらせず、一見、過激な暴論のように思わせるところがエンターテイナーとしての一流のテクニックなのでしょうね。いわゆる「たけし節」は非常に歯切れがよく、読んでいても気持ち良かったです。
 本書には全部で19の「考」と銘打ったエッセイが収められています。わたしは特に第十五考「師弟関係」と第十八考「目に見えないこと」に共感しました。
 まず「師弟関係」ですが、なぜ、たけし軍団の弟子たちに礼儀を教え、厳しく躾けたのか。著者は、「礼儀を躾けるのは、それがこの社会で生きていく必要最小限の道具だからだ」と述べています。
 第十八考「目に見えないこと」にも非常に共感させられました。毎朝毎晩、仏壇を拝んでいるという著者は、「仏壇を媒介にして、昔の日本人は死者と一緒に生きていたのだ」と述べます。
 自分にとって本当に大切な人を失ったときに、そのこととどう折り合いをつけるか。誰よりも大切な人の死を、自分にどうやって受け入れさせるか。あるいは、その喪失感をいかにして乗り越えるか。そこにはクッションが必要であり、著者は母親を亡くしてから仏壇に手を合わせるようになったそうです。
 著者の自宅の仏壇には、亡き母親だけでなく、漫才の師匠とか、黒澤明監督とか他にもいろんな人が入っています。それらの人々の位牌があるわけではありません。写真だったり、手紙だったり、形見だったり、とにかく著者がその人を偲ぶよすがとなる何かが入っているというのです。そして、ことあるごとに著者は死者たちに語りかけたり、報告したり、相談したりしているそうです。
 いわば死者と同居生活をしている著者は、次のように述べます。
「彼らが本当にあの世から俺を見てくれているのかどうかはわからない。答えは、自分が死ぬまでわからないだろう。わからなくていい。俺はその答えを知るのを、死ぬときの楽しみにしている。ただ彼らへの感謝の気持ちだけは忘れたくない」
 漫才時代の猛烈な毒舌や、監督した映画における過激な暴力描写などから、わたしは著者を誤解していたようです。じつは高い倫理性を持った人なのだと認識を改めました。全日本人必読の名著です。