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一条真也
「天使との再会
〜死者を忘れて、生者の幸福などありえない」
こんにちは、一条真也です。
6月10日、金澤翔子さんが北九州に来られました。
ダウン症の天才書家として非常に有名な女性です。
翔子さんとは、じつに1年ぶりの再会です。
初めてお会いしたのは、昨年の6月27日で、場所は東京・銀座にある画廊でした。
その画廊で翔子さんが書いた「般若心経」の世界が展示されていました。
画廊のオーナーの方から案内を受けて、「般若心経」展を覗いてみたのです。
そこには、般若心経の一文字一文字が葉書大サイズの和紙に書かれていました。
すべて、翔子さんが渾身の力を込めて揮毫した作品です。
わたしは会場に足を踏み入れた途端、思わず息を呑みました。
そこに書かれた、すべての文字が生きているようだったからです。
「観自在菩薩・・・」から始まる文字の一つひとつが光り輝いて和紙から飛び出してくるような錯覚を覚えました。そして、浄土の世界が現出するような感覚にとらわれました。
言葉にならないくらい、本当に素晴らしい!
書家としては「100年に1人の天才」と呼ばれているそうです。
また、彼女は「天使」とも呼ばれています。
ダウン症の人々を「天使」と呼んだのは神秘思想家のルドルフ・シュタイナーです。
でも、翔子さんの場合は、それだけではありません。
ダウン症とか天才芸術家という部分を超えて、彼女は人の心が読めるそうです。
その人に会った瞬間、心のきれいな人か汚い人かがわかるというのです。
だから、多くの人々が彼女のことを本物の「天使」だと呼ぶのです。
ちなみに、わたしは翔子さんから「大好きな人」と言われ、本当に嬉しかったです。
会場には、翔子さんが10歳のときに書いたという「般若心経」も展示されていました。それもまた見事な作品でしたが、部分的に染みがありました。
そこを指差して、翔子さんは「これはね、わたしの涙の跡なんだよ」と教えてくれました。
障害を持つ翔子さんに書を指導したのは、母親の金澤泰子さんでした。
泰子さん自身も書家だったのです。涙の跡がついた「般若心経」を見ながら、わたしは「おそらく、子も母も多くの涙を流してきたのだろう」と思って、胸が熱くなりました。
なお、その「涙の般若心経」は屏風に表装し、いま、わが社のグリーフケア・サロンに置かれています。愛する人を亡くした多くの方々が、翔子さんの書いた「涙の般若心経」を見て勇気を与えられ、また死別の悲しみを癒しています。
中には、涙がとまらないほど感動する人もいらっしゃいます。
じつは、翔子さん自身も、愛する人を亡くした人なのです。
翔子さんの父親は悟さんといいますが、すでに故人となられています。
悟さんは翔子さんを溺愛し、「翔子が20歳になったら個展を開こう。ダウン症の子がここまでになりましたという報告の会にするんだ」と言っていたそうです。
残念ながら悟さんは、その夢を叶えることなく夭折しましたが、翔子さんは「お父さまは影になって私を助けてくださる」と思っていたそうです。
わたしも、亡くなった悟さんは、姿は見えなくとも実際に翔子さんをサポートしていたと信じます。
20歳で待望の個展を開催し、それが大成功に終わったとき、翔子さんには「お疲れさま」という父親の声がたしかに聞こえたそうです。
そうです。わたしたちは、死者とともに生きているのです。
わたしたちは、けっして死者のことを忘れてはなりません。
死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありえません。
『葬式は、要らない』の著者である島田裕巳氏は、ある週刊誌で「生きている人が死んでいる人に縛られるのっておかしいと思いませんか?」と述べていました。
わたしは、島田氏の発言のほうがおかしいと思います。なぜなら、生きている人間は死者から縛られるのではなく、逆に死者から支えられているからです。
今の世の中、生きている人は亡くなった人のことを忘れすぎています。
だから、社会がおかしくなってしまったのではないかと思います。
さて、今回の翔子さんの北九州訪問はお母さんの金澤泰子さんと一緒でした。
翌日の11日に北九州八幡西区のサンレーグランドホテルで、わが社のイベントである「サンクスフェア」が開催されましたが、そこで翔子さんの席上揮毫を行ったのです。泰子さんの講演会も開かれました。
金澤さん親子は、北九州に到着すると、まず明日のイベント会場を下見され、それから宿泊先である松柏園ホテルに向かわれました。
わたしはホテルでお待ちし、夕食を御一緒しました。
まず、最初に「涙の般若心経」の屏風をお見せしました。
翔子さんは、とても懐かしそうにされ、喜んでいました。
また、翔子さんは骨折したわたしの足を見て、とても驚いていました。そして、「かわいそう」「痛いの?」と言ってくれ、優しくさすってくれました。
翔子さんのハンド・パワーで何だか良くなったような気がします。いや、ほんとに。
その後、食事をしながら、金澤さん親子と色々とお話しました。
翔子さんは「アンビリーバボー」や「徹子の部屋」や「金スマ」などの有名テレビ番組にも数多く出演し、大反響を呼びました。まさに、今や"時の人"です。
特に「金スマ」の影響力はすさまじく、日本中どこに行っても声をかけられるそうです。
明後日が翔子さんの誕生日とお聞きしたので、ささやかなバースデー・ケーキを用意させていただきました。みんなで手拍子をしながら「ハッピー・バースデー」を歌うと、翔子さんは嬉しそうでした。
また、お母さんの泰子さんと色々お話したのですが、教養ゆたかな方で大変勉強になりました。とにかく、わが子を心の底から信じ、愛しておられます。「書をやっていなかったとしても、翔子は素晴らしい子です」という一言には感動しました。
翌日の席上揮毫で、翔子さんは東北の被災地でも書いたという素晴らしい字を書いて下さいました。
それは、「希望光」という字でした。 多くの人々に希望の光が届きますように・・・・・。
2011.7.1