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一条真也
第十一則「感謝力」

 

 今月のテーマは、「感謝力」である。
 異色の哲学者として多くの指導者を教えた中村天風(1876〜1968)は、「ありがとう」という気持ちを持ち続けていれば、不平、不満、怒り、怖れ、悲しみは自然に消えてなくなると述べた。そして、天風は感謝本位の生活を送るために、「三行」というものを提唱している。すなわち、「正直」「親切」「愉快」に日々過ごしていくこと。この三つの行ないを実践すれば、感謝することが容易にできるようになっていくというのである。
 以前、「引き寄せの法則」というものが流行した。「成功したい」とか「お金持ちになりたい」とか「異性にモテたい」といったような露骨な欲望をかなえる法則だ。 
 しかし、いくら欲望を追求しても、人間は絶対に幸福にはなれない。なぜなら、欲望とは今の状態に満足していない「現状否定」であり、宇宙を呪うことに他ならないからである。
 ならば、どうすればよいのか。「現状肯定」して、さらには「感謝」の心をもつことである。そうすれば、心は落ち着く。
 コップに半分入っている水を見て、「もう半分しかない」と思うのではなく、「まだ半分ある」と思うのだ。さらには、そもそも水が与えられたこと自体に感謝するのだ。
 「求めよ、さらば与えられん」というキリスト教的世界より、「足ることを知る」仏教的世界のほうが人間の幸福に直結するように思えてならない。
 では、何に感謝すればよいのか。それは、ずばり親に感謝すればよいのである。人間とは「本能」が壊れた動物であり、その代わりに「自我」をつくった。その自我が、死の恐怖を生み、さまざまな欲望を生み、ある意味で人間にとっての「不幸」の原因をいろいろと生んできたわけである。
 人間の自我は、まず自分を人間だと思うところからスタートしなければならない。そして、自分を産んだ親こそは、自分を人間だと思わせてくれる存在である。なぜなら、親とは自分をこの世に出現させた根本原因としての創造主だからである。
 つまり、親に感謝することは、自分を人間であると確信することであり、自我の支えとなって、諸々の不安や不幸を吹き飛ばすことになるのだ。
 親に感謝するという意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのである。それを知った人間は、あとは感謝のサイクルに入っていけるのではないだろうか。
 この世に「当たり前」は何1つとしてない。すべてが「ありがたい」ことなのである。たとえば商店の場合なら、今は苦しくても、お店がまがりなりにもここまでやってこれたのは、「来てくださらない」はずのお客様がわざわざ買いに来てくださり、「商品を卸してくださらない」はずの取引先が卸してくださり、「お金を貸してくださらない」はずの金融機関が融資してくださった、ありがたいお力添えのお陰があったからこそなのである。
 その「ありがとう」の根本がわかれば、自ずからお客様のため、地域のために役立つよう一所懸命働こうという気持ちになってくる。それがまたお客様や地域の人々の共感を呼び起こし、お店はますます繁盛へと好循環していくことになる。
 そして、冠婚葬祭という営みこそ、感謝を「かたち」にしたものに他ならない。最近では自分たちを主役と勘違いした新郎新婦が増えてきたが(それとともに離婚も増えたが)、結婚披露宴とは、もともと両親や参列者に対して新郎新婦が感謝を表明する行事である。また、葬儀とは故人に対して哀悼の意とともに感謝の意を表す儀式である。
 だから、結婚式の花嫁の手紙でも、葬儀の友人代表の弔辞でも、最後の一文は「ありがとうございました」という言葉が圧倒的に多いわけだ。
 通過儀礼もしかり。初宮参りにしろ、七五三にしろ、成人式にしろ、いずれも神様に「ありがとうございます」と感謝を述べる儀式である。冠婚葬祭こそは、人々がありがとうと言う最大の機会となっている。
 つまり、冠婚葬祭業とは、「ありがとう産業」なのである。経営者のみならず、冠婚葬祭業に従事するすべての者にとって感謝力が必要不可欠だ。