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一条真也
「ヒア アフター〜死者はどこまでも自由」
こんにちは、一条真也です。
悲惨きわまりない東日本大震災が発生する少し前に、話題の映画「ヒア アフター」を観ました。80歳を迎えた巨匠クリント・イーストウッド監督の最新作で、製作総指揮はスティーブン・スピルバーグです。「硫黄島からの手紙」以来の黄金タッグが実現しました。
題名には「来世(死後の世界)」と「今後」という2つの意味があります。
この作品は、死と生をめぐる感動的なストーリーをつづるヒューマン・ドラマです。わたしが日頃から考えていることがテーマだったので、非常に興味深く観ました。
映画の冒頭には凄まじい大津波のシーンが登場します。
この場面には大いに圧倒されましたが、今となっては3月11日に発生した東日本大震災での津波と重なり、犠牲者の方々のご冥福を祈るばかりです。
バカンス先で巻き込まれた津波によって臨死体験をし、不思議なヴィジョンを見てしまったフランス人のマリー。霊能力者として比類のない才能を持ちながら、それを封印して生きているアメリカ人のジョージ。不幸な事故で亡くなった双子の兄と再会したいイギリスの少年マーカス。死を身近で体験した3人の登場人物が悩み苦しみながら生と向き合う姿が描かれています。
死に取りつかれた3人の人生がロンドンで交錯するラストシーンは感動的です。
何よりもラストの舞台がパリでもサンフランシスコでもなく、ロンドンというのが「この映画にふさわしいなあ」と思いました。なぜなら、ロンドンは世界のスピリチュアリズム(心霊主義)の中心地だからです。
イーストウッド監督がこの映画に込めたメッセージは、「どの人生も結論にたどり着くとは限らない」ということだそうです。
マット・ディモン演じるジョージが死者と会話をする場面は、少し前に日本のマスメディアの寵児となっていた某スピリチュアルカウンセラーの霊視を彷彿とさせました。
おそらく、この映画がスピリチュアル・ブームに沸いていた3~4年前に日本上陸していたら、大ヒット間違いなしだったと思います。
いずれにせよ、「人は死んだらどうなるか」「人は死んだらどこに行くのか」という人類普遍のテーマを正面から描いた名作であると思います。監督のイーストウッドは、「死後の世界があるかどうかはわからないね。でも、すごくたくさんの人たちが信じている。死後の世界はある方がいい。死んでまったくゼロになってしまうよりも、ね」と語っています。
この映画の冒頭で臨死体験をし、後に『ヒア アフター』という死後の世界についての本を書くマリーという女性ジャーナリストは、1983年に世界的ベストセラー『アウト・オン・ア・リム』を書いた女優のシャーリー・マクレーンを連想させます。
そのマリーは、ホスピスで死にゆく人々に接しているルソー博士という女性に会いに行きますが、このルソーのモデルは明らかにエリザベス・キューブラー・ロスでしょう。
ロスは、人間の死の問題を直視し、これに生涯をかけて取り組んだスイス生まれの女性精神科医です。死に際しての心理学的問題に関心を抱いていました。
彼女は世界的ベストセラーになった著書『死ぬ瞬間』の中で、死に直面した人間の態度には、「否認」、「怒り」、「取り引き」、「抑うつ」、「受容」という5つの段階があるとし、さらに後年に第6段階としての「希望」があると述べました。
ロスと並んで、「死」の問題を直視し、それを追及した人物にレイモンド・ムーディーがいます。アメリカの哲学博士および医学博士です。
1960年代半ば、ロスが死の研究をはじめた頃、ヴァージニア大学の若き哲学者ムーディーは臨死体験の記録を集めはじめました。臨死体験とは、医師から死の宣告を受けたにもかかわらず、奇跡的に生き返った人の体験です。
ムーディーの著書『かいまみた死後の世界』は1977年に出版され、全米でベストセラーとなりました。
ロスとムーディーの著書によって、「臨死体験」は世界中の人々に知られました。
臨死体験は、古来からの宗教者などによる「神秘体験」や、宇宙飛行士たちの「宇宙体験」にも通じます。宇宙飛行士たちは、宇宙から地球を見ました。この行為は、神秘体験者や臨死体験者にも共通しています。臨死体験者たちの中には、身体から魂が脱け出し、宇宙空間へ飛び出して地球を見たという者がかなりいます。
そう、宇宙船が重力をつきぬけて地球から宇宙へ出てゆくという現象は、いわゆる幽体離脱なのです。臨死体験者たちが、まるで透視力を持ったかのように頭が明晰になったり、光を見たりするといった報告も多いですが、これも神秘体験および宇宙体験のケースと共通しています。つまり、臨死体験とは、神秘体験であり、宇宙体験なのです。
そして、それらはすべて、重力からの脱出にもとづく体験なのです。亡くなった人は、物理的肉体の死によって、地球の重力から脱出し、宇宙空間を自在に飛び回っていることでしょう。死者は、どこまでも自由なのです。
以上のような「死」と「死後」についての考えを、わたしは『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)、『愛する人を亡くした人へ~悲しみを癒す15通の手紙』(現代書林)に書きました。
この2冊は多くの方々から読まれ、手紙などもたくさん頂戴しました。
「この本を読んで救われました」という感想も多く、著者冥利につきました。
この2冊を書いたことで、多くの読者の方々と「こころの交流」ができました。
映画「ヒア・アフター」の最後は、「ロンドン・ブックフェア」が舞台となっています。
そこで本の著者と読者との素敵な交流が描かれています。わたしは、この場面を観て、たいへん感動しました。著者と読者との交流とは、死者と生者との交流とまったく同じであることに気づいたからです。
本の著者は生きている人だけとは限りません。古典の著者は基本的に亡くなっています。つまり、死者ですね。死者が書いた本を読むという行為は、じつは死者と会話しているのと同じことです。
わたしは常々、「読者とは交霊術だ」と言っているのですが、映画「ヒア アフター」を観て、非常に満足しました。 「葬儀」というネアンデルタール人以来の営みと同じく、「読書」とは死者儀礼でもあることを再確認できたからです。
2011.3.15