第13回
一条真也
「隣人祭りに行こう!」

 

 春は、花見や謝恩会、歓送迎会など、人が集まる機会が多いですね。さまざまな縁を結んだ人々が集うことは楽しいものです。
 しかし、現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれています。わたしたちは、どうすれば「無縁社会」を乗り越えられるのでしょうか。
 わたしは、その最大の方策の一つは、「隣人祭り」であると思います。地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人たちが年に数回、顔を合わせます。同じアパートやマンションをはじめ、同じ地域の隣人たちなど、ふだんあまり接点のない地域の人たちが、気軽に交流できる場をつくり、知り合うきっかけをつくりたいときに有効です。
 また、自治会や地元の行事、集合住宅の会合などに、今まで参加しなかった人を集めたいときや、サークル活動やボランティア活動に、同じ地域に暮らす隣人に参加してほしいときなど、高齢者や子どもたち、単身者など含め交流の場をつくるのに有効です。
 「隣人祭り」は、今やヨーロッパを中心に世界30カ国以上、1000万人もの人々が参加するそうです。
 その発祥の地はフランスで、パリ十七区の助役アタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。 きっかけは、パリのアパートで一人暮らしの女性が孤独死し、一ヵ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後一ヵ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。
 同じ階に住む住民に話を聞くと、「一度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。 大きなショックを受けたペリファン氏は「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に「隣人祭り」を人々に呼びかけたのです。
 第一回目の「隣人祭り」は、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催しました。多くの住民が参加し、語り合いました。そのとき初めて知り合い自己紹介をした男女が、その後、結婚するという素敵なエピソードも生まれています。
 最初の年は約1万人がフランス各地の「隣人祭り」に参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には約800万人が参加するまでに発展し、同年5月にはついに日本にも上陸しました。新宿御苑で四日間開催され、200人以上が集まったそうです。
 隣人祭りが発展した背景には、孤独死の問題はもちろん、多くの人々が行きすぎた個人主義に危機感を抱いていることがあります。
 また、ペリファン氏は著書『隣人祭り』(ソトコト新書)の「著者の言葉」で次のように述べています。
 「人間には、誰にでも潜在的に寛大さというものが備わっている。ではなぜ、それを覆っている殻を打ち破って寛大さを表に出さないのだろう。人は誰でも問題を抱えているものだ。その問題を解決するには、自分以外の誰かの善意がきっと役に立つはずだ。人間の良心だけが、人間を救える唯一のものだと僕は信じている」
「隣人祭り」は、なぜ成功したのでしょうか。「日本経済新聞」2008年8月30日夕刊にフランスでの成功のステップが四つにまとめられているので、ご紹介したいと思います。
一、人と出会い、知り合う。親しくなる。
二、近隣同士、ちょっとした助け合いをする(パンやバターの貸し借りなど)
三、相互扶助の関係をつくる(子どもが急に病気になったが仕事で休めないとき、預かってもらう環境をつくるなど)
四、より長期的な視野で相互扶助をする。(複数の住民で協力し、近所のホームレスや病人の面倒をみたりするなど)
 これを見ると、「隣人祭り」のキーワードは「助け合い」や「相互扶助」のようです。それなら、多くの人は日本における互助会を思い浮かべるのではないでしょうか。正しくは、冠婚葬祭互助会といいます。「互助」とは「相互扶助」を略したものなのです。
 わたしはフランスで起こった隣人祭りと日本の互助会の精神は非常に似ていると思っています。サンレーはまさに互助会であり、これからも各地で隣人祭りを開催するお手伝いをさせていただきます。あなたも、隣人祭りに参加されませんか?