第12回
一条真也
「正月と成人式」
今回は、正月と成人式についてお話したいと思います。
最近、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)という本を書いたのですが、正月には「先祖まつり」という側面があるのをご存じですか。
わたしたち日本人にとって、正月に初日の出を拝みに行ったり、有名な神社仏閣に初詣でに出かけるのは、いたって見慣れた、当たり前の光景です。これらの行事は日本の古くからの伝統だと思われがちですが、実のところ、初日の出も初詣でも、いずれも明治以降に形成された、新たな国民行事と呼べるものです。
それ以前の正月元旦は、家族とともに、「年神」(歳徳神)を迎えるため、家のなかに慎み籠って、これを静かに待つ日でした。民俗学では、この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされています。本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀の機会であったことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても容易に理解できるでしょう。つまり、正月とは死者のための祭りなのです。
日本の場合、仏教の深い関与で、盆が死者を祀る日として凶礼化する一方、それとの対照で、正月が極端に「めでたさ」の追求される吉礼に変化したというのは、日本民俗学の父である柳田國男の説です。しかし祖霊を祀るという意味が忘れられると、年神は陰陽道の影響もあって、年の初めに一年の幸福をもたらす福神と見なされていきます。
近代に至って、太陰暦から太陽暦に改暦されると、同じ年の改まる機会であった立春、つまり節分の重要性が低下する一方、元旦がその重みを増して、年の初めとしての「めでたさ」がより強調され、初詣での習慣が成立していきました。
さて、一月は正月だけではありません。日本人にとって大きな行事がもう一つ控えています。そう、成人式です。
六年前から第二月曜となりましたが、それ以前は15日と決まっていました。最近は荒れる成人式がマスコミを賑わせていますね。
成人式とは一体何か。実は、現在のような自治体主催の成人式の歴史は古くありません。15日を「成人の日」と定めたのは、昭和23年(1948年)施行の「国民の祝日に関する法律」であり、成人式が全国的に広まったのはそれ以降のことでした。ただし、それには前史があります。一つは埼玉県蕨町(現・蕨市)の成年式です。終戦翌年の11月、復員や物資欠乏という世相の中、若者を元気づけようと、地元の青年団などが主催して、お汁粉や芋菓子を振る舞いました。蕨市はこれが成人式の最初だとして、アピールしています。
しかし、もう一つ、実は成人式には戦前の徴兵検査の名残があるのです。明治以降、満20歳に達した男子がこれを受けることが成人のしるしとされてきました。
それにしても、肉体的年齢からみれば20歳では遅すぎます。近代以前も大人への成長過程は社会の大きな関心事であり、男子は元服、女子は裳着という成人儀礼が行なわれていました。中世から近世の武家社会では、有力者を仮親に立て行なう烏帽子着の祝いが一般的でした。
昭和の前半くらいまで日本各地に伝えられていた民俗では、男子15歳のふんどし祝いや女子13歳のゆもじ祝いなど、性的成熟に対応する儀礼が多かったようです。
そして、成人儀礼の基本は厳しい試練とっそれに耐えることにありました。
一人前として認められるには一定の力仕事、労働能力も当然要求されました。水田で牛を使い、五斗俵を背負ったり、荒筵の上に三角の薪を並べて座らせられ、薪で打たれる地方もありました。
現代社会では大学入試や新入社員研修などにその伝統を見ることができます。成人儀礼とは何よりイニシエーション、つまり通過儀礼なのです。
正月という年中行事、成人式という通過儀礼。こうした行事や儀礼の一つひとつが日本人の暮らしの節目であり、人生の節目でした。私たちは、そこに美しさや安らぎを感じ、そこで感謝や祈りを学んだのです。なんと豊かな精神文化でしょうか!
日本人の心を豊かにする年中行事と通過儀礼の重要性を再確認しようではありませんか。