第34回
一条真也
『さよならもいわずに』
上野顕太郎著(エンターブレイン)
著者は、人気の高いギャグ漫画家です。
そう、本書はコミックなのです。冒頭には、次のような献辞があります。
「本作は、前妻キホに捧げる最後の作品である。大切な人を失ったすべての人に。
そして大切な人がいるすべての人に」
著者は、うつ病の治療を続けていた最愛の妻を突然の悲劇で亡くしてしまったのです。心が張り裂けるような真実の物語がリアルな劇画調で描かれていきます。
夫婦の間には、小学四年生の娘が一人いました。著者は、娘と二人で新しい生活をスタートします。そして、ようやく深い悲しみが癒えた頃、新しいパートナーと出会い、再び三人家族の生活が戻ってくるのです。
なぜ、心が張り裂ける苦しい経験を思い出してまで、また新しい家族の心を傷つけてまで、本書を書いたのでしょうか。著者は、その理由を次のように述べます。
「ただそれでも『描かずにはいられなかった』わけだが、ではそれは何故か?『自分の思いを誰かに知ってもらいたかった』ということに、尽きるのではないだろうか。辛い目にあった人々は多かれ少なかれ、『誰かに話を聞いてもらいたい』とか、『気持ちを分かってもらいたい』と、思うようだ」
著者が言っていることは本当でしょう。わが社では、グリーフケア・ワークのサポートをやらせていただいていますが、愛する人を亡くした人にとって何よりも必要なことは、誰かに自分の悲しみや苦しみを伝えることだと思います。
著者は、続けて次のように述べます。
「まして自分は表現者だ、これを描かずにいられるだろうか。いや、あえて俗っぽく言うなら、表現者にとっての『おいしいネタ』を描かぬ手はない」
この偽悪的な著者のコメントには、なんだか泣けてきてしまいます。もちろん、「おいしいネタ」というのは本意ではなく、辛い経験を表現しなければならない自分を鼓舞するためのものだと思います。
著者は、序文のようなモノローグの最後をこう締めくくっています。
「この作品に思いを込め、過去は過去として気持ちを整理し、この先の未来を見据えてゆきたい。この作品の最後にあるのは絶望だ。だがその先には希望があることを今の私は知っている」
結論から言いますと、著者の意図は完璧な成功を収めたと思います。漫画に限らず、小説も映画も演劇も全部含めて、愛する人を亡くした人の「こころ」をここまで見事に描いた作品を知りません。はっきり言って、大傑作です。