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一条真也
第六則「育成力」

 

 大リーグ・マリナーズのイチロー外野手が今シーズン、10年連続200本安打という偉業を達成した。イチローこそは真の天才であると誰もが認めるが、その成功の陰にはチチロー、すなわち父親という偉大なコーチの存在があったことを忘れてはならない。
 少年時代の彼の猛練習は、すべて父親との二人三脚だった。また、五輪の金メダリストをはじめ、すべてのトップアスリートには実の父親をはじめとした素晴らしいコーチがついている。
 「コーチ」というと、誰もがスポーツ界のコーチを思い浮かべるだろう。いままでのプロ野球やサッカーのコーチは、現役時代に注目を集める高い実績を残した人がほとんどだった。
 だから、私たちは、スポーツのコーチの仕事は、自分の高い技能やノウハウを後進に伝授し、指導することというイメージを持っている。しかも「鬼コーチ」という言葉があるように、そこには「厳しさ」がつきものだ。
 本当にコーチのノウハウを伝授すれば、プレーヤーは伸びるのだろうか。現役時代に名選手と呼ばれたい人でも、名コーチとして名を残すことができる人と、コーチとしては結果を出せない人がいる。その2つを分けているのは、「選手個々の技能を見極め、優れた部分に焦点を当て、伸ばせる人」か、「相手かまわず自分のノウハウを押しつけ、合わない選手を潰してしまう人」かという違いである。つまり、「鬼コーチ」が結果を出すというのは、思い込みと誤解がつくりあげたセオリーといえる。
 ビジネス界においても、これまでの管理職の人材育成の手法は、スポーツのコーチと同じ考え方で行なわれてきた。つまり、プレーヤーとして有能だった人が管理職となれば、同じやり方を受け継がせるために、的確な指示・命令ができ、部下も同様に成功できるという考え方である。
 ところが、指導者が厳しく自分のやり方を押しつけてトレーニングしてきた組織では、いざ試合となった場合、"選手たち"はコーチの的確な指示がないと判断に迷い、立ち往生してしまうという事態を招く。
 好景気の時代、動きのゆるやかな時代は、それでも何とか乗り切ることができた。しかし、現在の厳しいビジネスシーンでは、"試合中"に自分で考えて動けない選手は、大切なビジネスチャンスを逃してしまうのだ。
 いまは、本当に何が起こるかわからない激変の時代である。情報1つをとってみても、これまで業界の人間しか知りえなかった情報を顧客は容易に入手し、比較検討するようになった。
 各種の情報誌やインターネットによる情報で、プロも顔負けの知識を持つ顧客も珍しくない。商品のみならず、医療や法務などの専門知識に関しても、一般人は無知ではなくなった。多くの情報のなかから主体的に商品を選びたいと思っているのである。
 そんななか"チームのコーチ"である管理職が持っている「答」が正解である保証はどこにもない。以前の正攻法がいまはもう、ありふれた手法や陳腐なやり方である場合が多いのである。
 このような社会背景における組織は、自分で考え、行動できる人材を育成する必要に迫られている。その結果生まれた手法が「コーチング」である。コーチングという概念は、1990年代のアメリカで大きなブームとなったが、日本でも近年、注目されている。コーチングを漢字3文字で表現すると、「信」「認」「任」となる。「信」とは、人間の無限の可能性を信じること。「認」とは、1人ひとりの多様な持ち味と成長を認めること。そして「任」とは、適材適所の業務・目標を任せることである。
 またコーチングは、会話によって相手の優れた能力を引き出しながら、前進をサポートし、自発的に行動することを促すコミュニケーション技術でもある。「質問」を何度も重ね、相手のなかから「答」を引き出す。コーチングによって、自ら考え、自ら動く部下が生まれると同時に、上司の人格をも磨くことができるのだ。
 ドラッカーは、『経営者の条件』で、「真に厳しい上司とは、(中略)部下は何をよくできなければならないか、からスタートし、次に、その部下が本当にそれを行うことを要求する。」(上田惇生訳)と述べている。まさに、育成力の真髄と言えるだろう。