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一条真也
「隣人祭り〜
「孤独死」をなくすための方法の一つとして」
前回も書きましたように、東京で「孤独死」に関する講演とディスカッションを行いました。そのとき、「孤独死」をなくすための方法の一つとして、わたしは「隣人祭り」について話しました。
地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うイベントが「隣人祭り」です。
都会の集合住宅に暮らす人たちが年に1度、顔を合わせるのですが、いまやヨーロッパを中心に29カ国、800万人が参加するそうです。
隣人祭りの発祥の地はフランスです。パリ17区の助役であるアタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。
きっかけは、パリのアパートで一人暮らしの女性が孤独死し、1ヵ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1ヵ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。
同じ階に住む住民に話を聞くと、「1度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。大きなショックを受けたペリファン氏は、「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に隣人祭りを人々に呼びかけたのです。
第1回目の隣人祭りは、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。
そのとき初めて知り合い自己紹介をした男女が、その後、結婚するという素敵なエピソードも生まれました。
最初の年は約1万人がフランス各地の隣人祭りに参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には約800万人が参加するまでに発展し、同年5月にはついに日本にも上陸しました。2日間、新宿御苑で開催され、250人の人々が集まったそうです。
隣人祭りが発展した背景には、孤独死の問題はもちろん、多くの人々が行きすぎた個人主義に危機感を抱いていることを示しています。
アタナーズ・ペリファン氏と共著『隣人祭り』(ソトコト新書)を書いたフランス在住のジャーナリスト・南谷桂子氏は、2008年8月16日の新聞朝刊で、「一度でも言葉を交わしていれば『感情公害』と呼ばれる近隣トラブルは減るし、いきなり刃物で刺すような事件もなくなるはず」と語っています。
また、ペリファン氏は『隣人祭り』で次のように述べています。
「人間には、誰にでも潜在的に寛大さというものが備わっている。ではなぜ、それを覆っている殻を打ち破って寛大さを表に出さないのだろう。人は誰でも問題を抱えているものだ。その問題を解決するには、自分以外の誰かの善意がきっと役に立つはずだ。人間の良心だけが、人間を救える唯一のものだと僕は信じている」
隣人祭りのキーワードは「助け合い」や「相互扶助」といった言葉です。
それなら、多くの日本人は「互助会」を思い浮かべるのではないでしょうか。正しくは、冠婚葬祭互助会といいます。「互助」とは「相互扶助」を略したものなのです。わたしはフランスで起こった隣人祭りと日本の互助会の精神は非常に似ていると思っています。
早速、互助会であるわが社では、隣人祭りのお手伝いを各地で行なってゆくことにしました。まずは、2008年の10月に日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での隣人祭りのお手伝いをさせていただきました。
その後、2009年には年間で60回の隣人祭りをサポートさせていただき、2010年も年間で130回を予定しています。
隣人祭りは、人生最後の祭りである「葬祭」にも大きな影響を与えます。隣人祭りで知人や友人が増えれば、当然ながら葬儀のときに見送ってくれる人が多くなるからです。
わたしが立ち会った葬儀の中には参列者が一人もいないという孤独な葬儀も存在します。そんな葬儀を見ると、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありません。
亡くなられた方には、家族もいただろうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。なのに、どうしてこの人は一人で旅立たなければならないのかと思うのです。もちろん死ぬとき、人は一人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに一人で旅立つというのは、あまりにも寂しいではありませんか。
映画「おくりびと」が話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。
1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。その意味で葬儀の場とは、人生のグランドフィナーレであるとともに、良い人間関係の檜舞台に他なりません。
ITが進歩するばかりでは人類の心は悲をあげて狂ってしまいます。ITの進歩とともに、人が集う機会がたくさんある社会でなければなりません。
これからも、隣人祭りを通じて、地域の方々の人間関係が良くなるお手伝いがしたいと考えています。
2010.8.15