第9回
一条真也
「和歌に詠まれてきた花」
春といえば、花ですね。日本において、ハナという言葉はものの先触れをあらわし、咲く花は神意、つまり神々の「こころ」のあらわれでした。
日本人はまことに豊かな花の文化を持っています。しかも、それは音楽・絵画・染色・工芸......その他の幅広いジャンルにわたっていますが、何といっても和歌を忘れることはできないでしょう。
日本人は古代から、花を愛でてきました。そして、その心を多くの和歌に詠んできたのです。最古の文学作品である『古事記』にも、さまざまな和歌が出てきます。
たとえば、雄略天皇の皇后に「大和の高市(たけち)の新嘗屋(にひなへや)に生い立てる 葉広(はびろ)斎(ゆ)つ真椿(まつばき)」という歌があります。
椿の葉や花のように高光る天皇といって天皇をたたえているのですが、国学者の本居宣長が『古事記伝』で考証したように、古代の日本では椿の木やその花を霊力のある神聖なものとして見ていました。椿には霊力があるというので、市に椿を植えたわけです。
『古事記』にはまたヤマトタケルノミコトの歌として、「命のまたけむ人は たたみこも平群(へぐり)の山のくまかしが葉を うずに挿せ その子」というのがあります。木や花に呪力を感じ、その神秘的な力を人間に感染させようとしたのですね。
『万葉集』にも、桜の花とか、なでしことか、いろんな花を髪にさす歌がたくさんあります。『万葉集』といえば、数々の歌集の中でもことに多くの花々を歌っています。もちろん歌の数が多いこともその理由の一つでしょうが、何よりも万葉びとの歌が生活に密接に結びついていたからでしょう。
この頃の人々にとって人間と自然の区別はなく、もろもろの存在は言葉によって表現された時に初めて存在しました。言霊(ことだま)信仰と呼ばれるものです。
万葉びとは季節の移り変わりに敏感でした。持統天皇は、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣乾(ほ)したり天の香具山」と詠んでいます。また、「春は萌え夏は緑に紅のまだらに見揺る秋の山かも」という歌も有名です。
そして何よりも『万葉集』は恋の歌集といってよいほどに恋歌が多いことで知られます。彼らは恋を花々によって歌いました。からあい、なでしこ、おみなえし、すべて女性にたとえられた花です。なでしこは男性にたとえられることもありました。
「わが屋戸にまきし撫子(なでしこ)いつしかも花に咲きなむそへつつ見む」
これは、大伴家持が後の妻である坂上大嬢(さかのうえおおおとめ)に送った歌です。
美少女は紫草にたとえられました。大海人皇子に「紫草のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」という有名な歌があります。額田王を紫草のように美しい女性と表現しているのです。
『万葉集』以後も、『古今和歌集』『新古今和歌集』をはじめ、多くの歌集で日本人は自らの心を花に託して歌を詠んできました。なぜかというと、花は「いのち」のシンボルそのものだからです。日本は農業国であり、もともと「葦(あし)の国」と呼ばれたように、植物とは深く関わってきました。
冬に枯死していた大地を復活させるのは、桜の花をはじめとした春の花々です。古代の日本人は、花の活霊が大地の復活をうながすと信じました。
この農業国を支配する王は、花の活霊を妻とし、大地の復活を祝福し、秋の実りを祈願する祭礼の司祭となりました。この国の王は、何よりも花祭という「まつりごと」を司ることに任務がありました。政治を「まつりごと」というのは、そのためです。
それはともかく、花は活霊、すなわち「いのち」そのものなのです。だから、病人には花を贈ります。それは、「いのち」を贈って、早く元気になってほしいというメッセージなのです。
そして、「産霊(むすび)」という言葉がありますが、これは二つの「いのち」が合体を果して新しい「いのち」を生み出すこと、つまり結婚を示します。
結婚する新郎新婦が「花婿」「花嫁」と呼ばれ、「花」に見立てられるのも、これから子どもという新しい「いのち」を授かるからなのですね。このように、花は「いのち」のシンボルなのです。