第5回
一条真也
「受容」
あなたの愛する人は亡くなりました。でも死は、本当に不幸なことなのでしょうか。「死」のほんとうの姿を探してみたいと思います。
●死は不幸ではない
日本人は死を「不幸」などと呼びますが、決して死をタブー視してはいけません。死について率直に話すことができないと、真に人間的なコミュニケーションを深めることができなくなり、生への意欲までも減退させてしまうのです。
死生学の第一人者であるアルフォンス・デーケン氏も、これからは死を自然な現象として受け止め、自由に語り合える新しい死の文化を創造して行くことが必要であると主張し、それが新しい生き方を探る道にもなると述べています。
また、死の問題に生涯をかけて取り組んだ精神科医キューブラー・ロスは、死に直面した人間の態度には次の五段階があると唱えました。
第一段階は「否認」。死に直面した時、人はそれを認めず、誤診などと思い込もうとします。第二段階は「怒り」。死という事実が否定できないとわかると、怒りと「なぜ今、わたしが・・」という疑問が生じます。第三段階は「取り引き」。怒りがおさまると、「もし生かしてくれれば、これをする」と、神や死神と取り引きすることを思いつくのです。第四段階は「抑うつ」。死の否定も取り引きも成り立たないことがわかると、喪失感に襲われ、うつ状態を引き起こします。そして第五段階は「受容」。全ての望みが絶たれて、初めて死を認め、受け入れ始めるのです。
この受容とともに意識は透明な輝きと広大な広がりをもち、苦しい闘争は終わり、旅路の前の休息の時が訪れます。これが有名な「死へのプロセス」です。
●死は肉体を脱ぎ生きること
しかし、全ての人がその五段階全部を通過するわけでも、その順番で通過するわけでもありません。五段階を知ることが重要なのではなく、「重要なのは生きられた生である」とロスは述べています。
五段階の先には、第六段階としての「希望」があるのです。ロスは死の研究を続けていくうちに「死後の生」と「転生」は疑問の余地のない事実と考えるようになりました。「死は人生のクライマックス、卒業であり、(中略)新たな始まりの前の終わり。死は大いなる移行である」と著書『新・死ぬ瞬間』に書いています。
ロスはよくギリシャ語で「魂」という意味のある蝶を使って死を表現しました。「蝶は繭から出ると飛んでいってしまうけど、草花の間を飛び、日光を浴び、幸せになっているのよ」。死とは、肉体を脱ぎ捨てて生きることだったのです。あなたの愛する人は今、蝶のように軽やかに舞っています。