第8回
一条真也
「クリスマスとお盆」
十二月といえば、クリスマスですね。現在は前日のクリスマス・イヴに押されているとはいえ、イエス・キリストの誕生日として年間最大のイベントとされています。世界中の家族や仲間や恋人同士がこの日を祝います。
しかし、この日はイエスの本当の誕生日ではないことをご存知ですか。紀元後三世紀までのキリスト教徒は、十二月二十五日をクリスマスとして祝ってはいませんでした。キリスト教徒は、四世紀の初頭まで、後にキリスト教会の重要な祝日となるこの日に、集まって礼拝することもなく、キリストの誕生を話題にすることもなく、他の日と何の変わりもなく静かに過ごしていました。これに対して、同じ頃、まだキリスト教を受け入れていなかったローマ帝国においては、十二月二十五日は太陽崇拝の特別な祝日とされていました。当時、太陽を崇拝するミトラス教が普及しており、その主祭日が「冬至」に当たる十二月二十五日に祝われていたのです。
そして意外に思われるでしょうが、真冬のクリスマスとは、死者の祭りでした。冬至の時期、太陽はもっとも力を弱め、人の世界から遠くに去っていきます。世界はすべてのバランスを失っていく。そのとき、生者と死者の力関係のバランスの崩壊を利用して、生者の世界には、おびただしい死者の霊が出現することになるのです。生者はそこで、訪れた死者の霊を、心を込めてもてなし、贈り物を与えて、彼らが喜んで立ち去るようにしてあげます。そうすると世界には、失われたバランスが回復され、太陽は再び力を取り戻して、春が到来して、凍てついた大地の下にあった生命が、いっせいによみがえりを果たす季節が、また到来してくることになるのです。
その死者の霊の代理を生者の世界でつとめたのが子どもでした。子どもとは霊界に近い存在です。かつてヨーロッパの子どもたちは、真冬の暗闇に飛び出して行き、仲間たちと一隊をつくりました。そして、大人たちの家庭に押しかけては、お菓子やお供物やお金を強要していたのです。この子どもたちの行動は大きな批判の的となり、フランス革命の後には規制が加えられるようになりました。以後、子どもたちはこの季節がやってきても、真冬の暗闇に飛び出して行って、死者の代理人を演じることもなくなりました。
子どもたちは、暖かい家の中で家族と一緒にくつろぎながら、クリスマス祭を祝うようになったのです。
それでも大人たちは、子どもたちを通じて死者への贈り物をしなければなりません。そこで、サンタクロースの存在が必要となり、それは「遠方からやって来るやさしい老人」でなければなりませんでした。
かつて死者の代理人をつとめた子どもが、今やおとなしく、クリスマスの夜に家にこもっている。この子どもに贈り物を渡す仲間には、同じく霊界に近い存在、すなわち老人の存在が必要となるのです。こうして遠い北の国から、体じゅうに死者の霊をまとった、子どもたちにやさしい老人というイメージが生まれてきます。そして、彼はただぶっきらぼうに「ペール・ノエル(クリスマスおじさん)」と呼ばれるよりも、子どもたちの守護聖人である聖ニコラウスの名前を冠した、「サンタクロース」という呼び名のほうがふさわしいのです。
昔のクリスマスでは、大人は子どもにお供物やお菓子を贈り、そのお返しに、子どもは大人たちの社会に対して来年の豊穣を約束しました。現在、大人はサンタクロースというファンタジーを通して、子どもにオモチャやお菓子のプレゼントをします。そしてそのお返しに、子どもは大人に幸福な感情を贈ります。クリスマスにおいて、生者と死者の霊の間には、贈り物を通して霊的なコミュニケーションが発生します。
人々は、それによって、生き生きとした、何か心を暖かくする力が、自分たちのまわりに出現したことを感じ取ってきたのです。おそらくチャールズ・ディケンズが『クリスマス・キャロル』という多くの死者の霊が登場する小説で描きたかったことも、そういうことだったのでしょう。
このように日本のお盆にも似て、クリスマスとは死者をもてなす祭だったのです。