2008
12
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「イソップ、グリム、アンデルセン

 童話が大切なことを教えてくれる」

●童話のすすめ

 わたしは、最近よく童話を読みます。何より童話から学ぶことが非常に多いからです。さまざまな悩みを抱えた大人こそ、童話を読むべきだと思います。
 世界の三大童話といえば、イソップ、グリム、アンデルセンですね。絵本も含めれば、これらの童話をまったく読んだことがない人はおそらく存在しないはずです。まさに人類共通の「こころの世界遺産」といってもよいでしょう。

●イソップの「ウサギとカメ」

 イソップは、紀元前600年頃のギリシャで生まれた、動物を登場人物に仕立てた物語です。これを「寓話(ぐうわ)」といいます。有名なイソップ寓話に「ウサギとカメ」があります。
 この話は一般に、「コツコツと努力すれば、いつか報われる」とか「いくら才能があっても、なまけていたら負けてしまう」という教えを示しているといわれます。
 しかし、このようにも考えられます。 「ひたすら邁進(まいしん)するだけが人生ではない。身体を酷使して、つき進むことだけを考えていると、志半ばにして病気になるかもしれないし、過労死してしまうかもしれない。そうなれば、それまでの苦労が水の泡になってしまう。カメのように、あまり無理しないで、マイペースでゴールを目指したほうが賢明である」
 わたしは、この考えを個人の生き方というよりも会社の経営に当てはめています。拡大戦略をとる他社の互助会でも、急激に前受金を増やしたり、過度の設備投資に走る会社も見られます。そのことを自慢する社長さんもいます。でも、わたしは「ウサギとカメ」の話を思い出しては、「サンレーは無理せず、マイペースで行こう」と心でつぶやくのです。

●グリムの「幸福なハンス」

 グリム童話では、「幸福なハンス」という話に考えさせられます。これは、七年間の年季奉公を終えたハンスが給金として貰った金の塊をどんどん物々交換していく話です。
 ハンスは、「金塊」を「馬」と交換し、それを「牝牛」と交換し、さらには「子豚」から「がちょう」から「砥石(といし)」へと交換して、母の待つ家へと帰っていきます。この話は日本昔話の「わらしべ長者」と似ていますが、その内容は正反対です。
 「わらしべ長者」では、貧乏な若者が「一本のわら」を「三個のみかん」と交換し、それを「上等な布三反」と交換し、さらには「馬一頭」から「田畑」と交換して運が開けるという物語です。だんだん交換する物のグレードが上がっており、「幸福なハンス」と逆になっています。
 誰もが、わらしべ長者を褒め、ハンスを馬鹿にするでしょう。ところが、愚か者のハンスは多くの人を豊かにしたばかりか、自らの欲を断って、なつかしい我が家に帰ることを何よりの幸福としたのです。
 幸福のポイントは「求めよ、さらば与えられん」ではなく、「足るを知る」にあり、なかなか考えさせられる話だと思います。

●アンデルセンの「マッチ売りの少女」

 そして、何よりも「幸福」について考えさせてくれるのが、アンデルセンの「マッチ売りの少女」です。この話を知らない人はいないでしょう。雪の降るおおみそかの晩、街をさ迷うみすぼらしい身なりのマッチ売りの少女は寒さのあまり、一本も売れなかったマッチをともして暖をとろうとします。
 マッチをともすたびに、きれいな部屋、ごちそう、クリスマスツリーなどの不思議な光景が浮かんできます。そして最後には、亡くなったはずの懐かしいおばあさんの姿が浮かんできました。翌朝、街の人々は少女の亡骸(なきがら)を目にします。最後には、こう書かれています。
 「この子は暖まろうとしたんだね。と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国にのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした」(矢崎源九郎訳)

●二つの「人の道」

 この短い童話は、いろんなことをわたしたちに教えてくれます。まず、「死は決して不幸な出来事ではない」ということ。伝統的なキリスト教の教えではありますが、「マッチ売りの少女」は、「死とは、新しい世界への旅立ちである」ことを気づかせてくれるのです。
 さらに、この物語には二つのメッセージが込められています。一つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。
 「義を見てせざるは勇なきなり」は儒教の教えですが、これがアンデルセンの第一のメッセージだと思います。
 第二のメッセージは、少女の亡骸を弔ってあげなければならないということ。行き倒れの遺体を見て見ぬふりをして通りすぎることは人として許されません。
 死者を弔うことは人として当然です。このように、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の二つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」なのです。
 わたしたちの事業は、まさにこの二つの「人の道」に添っていることを知り、日々の業務に励んでいただきたいと思います。

 童話など子どもの本と馬鹿にせず
      素直に読めば得ること多し  庸軒