2005
11
株式会社サンレー
代表取締役社長
佐久間 庸和
「七五三が日本人の心を救う
少子化時代に合ったセレモニーを!」
九月は「敬老の日」にちなんで長寿祝いの話をしましたので、今月は「七五三」の話をしたいと思います。古来わが国では「七歳までは神の内」という言葉や、七歳までに死んだ子どもには正式な葬式を出さず仮葬をして家の中に子供墓をつくり、その家の子どもとして生まれ変わりを願うといった習俗がありました。つまり、子どもというものはまだ霊魂が安定せず「この世」と「あの世」の狭間にたゆたうような存在であると考えられていたのです。
七五三はそうした不安定な存在の子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼です。七五三は、一般に三歳の男女と五歳の男児、七歳の女児を対象にこれまでの無事の感謝と更なる成長を祈願して十一月十五日に氏神に参詣する儀礼ですが、その時代や地方によって年齢と性別の組み合わせはさまざまであり、二歳や九歳で同様の儀礼を行なうところもあります。十一月十五日という日付も、徳川幕府の五代将軍綱吉の子である徳松がその日に髪置きの儀礼を行なったことに端を発するとする説や霜月の祭りに合わせたとする説、陰陽道によるものとする説などがあり、地方によっては必ずしもこの日に行なわれるわけではありませんでした。現在のような華美な七五三の風景は明治以降のものです。
七五三の問題をさらに進めて、「子どもとは何か」ということを考えてみたいと思います。危機の時代と言われて久しいですが、その危機を大きくとらえれば、環境問題と世界平和の二つの危機です。どちらも人類の生存の危機を含んでいます。そしてそれは、人類のみならず、他の生命種までも絶滅に巻き込んでしまう深くて大きな危機だと言えます。
当社の社歌「永遠からの贈りもの」の作者である宗教哲学者の鎌田東二氏は、その危機をさらに具体的に子どもと老人の生命と文化の危機、すなわち翁童存在の危機ととらえ、問題提起をしてきました。
その問題とは、第一に子どもは単に子どもなのか、という問いです。その答は、子どもは単に子どもであるばかりではなく、その内に老人を内包しているというものでした。氏はその答を神話や民族儀礼などの伝承文化を考察するところから引き出そうとしました。
原始社会から近代に至るまで、いや、近代社会にあっても沖縄やアイヌや世界各地の民族社会では、子どもはおじいさんやおばあさんの生まれ変わりと信じられてきました。子どもは祖父母の生まれ変わりという観念は、古い民族社会において根強く残されてきたのです。
沖縄には「ファーカンダ」という方言があります。「孫」と「祖父母」をセットでとらえる呼称です。これは、親子、兄弟という密接な人間関係を表わすものと同様、子どもとお年寄りの密接度の重要性を唱えているものと考えられます。超高齢化社会に向けて、増え続けるお年寄りたち。逆に減り続け、街から姿が消えつつある子どもたち。その両者を「ファーカンダ」という言葉がつなげている。「ファーカンダ」は、「ファー(葉)」と「カンダ(蔓)」の合成語とされますが、それは、葉と蔓との関係のように、切っても切れない生命の連続性を示しています。それは生命にとって一連の出来事であり事態なのです。
沖縄の写真家で民俗学者であった故・比嘉康雄は、ドキュメンタリー映画「魂の原郷」のなかで、孫が祖父母の生まれ変わりであるという沖縄の生命観を強調していますが、これは沖縄だけでなく、本土においても、アイヌ社会においても、アフリカの部族社会やアボリジニの社会においても共通の生命観でした。その一端は、祖父母の名前の一部を孫に付ける習俗として残されています。
自身の名前も祖父から「東」の字を一字引き継いで「東二」とされたという鎌田氏の提唱する「翁童論」の人間観は、人間存在をその根源性、普遍性、全体性から見ようとするものです。それは、子どもと大人という人生の対極にあるかのごとく考えられてきた両極が実は表裏一体をなすものであり、むしろ互いに逆対応しながら相互入れ子のように組み込み合っている存在ではないかという見方の提示でした。人生を直線的に見ると、子どもと老人は始まりと終わりに位置しますが、霊性の軸を起点として見るとき、子どもは霊翁としての局面を隠し持ち、老人は霊童の局面を隠し持つという見方です。若と老いとは、あるいは童と翁とは「ファーカンダ」のように一対のもの、切り離せない表と裏なのです。
つまり、人間の全体像をトータルに考え、とらえるためには、大人の男女をモデルにするのではなく、人間的生の初めとしての子ども(童)と生の終わりとしての老人(翁)の両方を視野に入れなければならない、と鎌田氏は言うのです。そしてその両者は、その身体性と霊性においてとても似ているところがあります。
その共通点とは、身体性の局面からいえば、まず第一に、保護ないし介護が必要な点。第二に、その身体的な機能の制約によって行動範囲が狭い点。第三に、言動に繰り返しが多い点。さらに、霊性の局面にかかわっていえば、第四に、生の境界に位置している点。第五に、古代から子どもと老人は神に最も近い存在として聖性を持つと考えられてきており、時には神の依り代ともなった点。「七歳までは神の内」とか「六十で先祖に還る」という言葉は、翁と童が「死」と「誕生」という生死の両極にありながらも、両者ともに神仏の世界を媒介し体現する神人的存在として表わされてきたことを意味しています。第六に、先に述べたように、日本では沖縄やアイヌ、またアフリカの部族やオーストラリアの先住民族アボリジニでは、今でも祖父母の名前を孫に付ける習慣が保持されていて、祖父母すなわち老人と孫すなわち子どもとの霊的かつ身体的つながりの強さが示されている点。
そのような共通点において、鎌田氏は、老人施設と子どもの施設の一体化・結合・連携の必要を強調してきました。同様に、私も以前より児童施設と老人施設が一体となった「幼老院」の建設を主張してきました。
今日、現代を代表する建築家である隈研吾氏による北九州市戸畑区中心部開発のように児童施設と老人施設を合体させようとする動きが各所に見られます。それはとても望ましい試みであり、鎌田氏や私の年来の主張とも一致します。しかし、そのハード面の整備だけでは足りません。ソフト面の開発と活用が緊急の課題となっています。そうでなければ、生命と文化の連続性と活力が生まれてこないのです。
例えば、折り紙を子どもたちとともに折ることや、縄のない方、遊戯、昔話、体験談などを、子どもたちに興味を持たせるような工夫と取り合わせで推進していくこと。老人の知恵と役割と生きがいをうまく演出し、実現することによって、子どもたちに「人は老いるほど豊かになる」ということを感じさせるのです。子どもと老人の波長の共鳴度を高めることによって、社会に階調・ハーモニーをもたらすのです。
老いを忌避し、嫌悪し、排除する社会は健全ではありません。生命の律動を否定しているからです。老いの豊かさを社会が認識し、高めてゆく努力をするとき、子どもも老人も活力と尊厳を持って誇り高く生きてゆくことができるでしょう。子どもと老人にとりわけ必要なのが夢と希望です。可能性を信じる肯定性です。この現実を肯定するために夢が必要なのです。その夢は生命と文化の連続性への信頼に裏付けられています。
ネイティブ・アメリカンは七世代先のことを考えて行動すると言われます。七世代とは約百五十年です。そこまで先のことを常に意識しなくとも、少なくとも祖父母と孫の三世代間の連続性は強く意識し、自覚的に取り結ぶ活動を必要とするでしょう。このとき、人生の先達としての老人は、自己の経験から老いの叡智を語らなければなりません。
禅の「十牛図」では、子どもと老人が出逢う場面が心の深まりとしての最高の境地とされます。子どもと老人の出逢いとは、生命と叡智との合体、純真無垢と経験との統合を意味します。道教の教えや図像においても、理想的人間としての不老不死あるいは不老長寿の仙人は叡智を宿す童子=老人として描かれています。すべての老いは経験を刻印しています。それがゆえに、老いの叡智は経験と夢を融合させた物語る能力として現われます。老いを忌避するのでも排除するのでもなく、老いを受け入れ深め純化させることができるかどうかが、豊かに老いることにつながるのでしょう。
鎌田氏は、「老いの豊かさとは、老いのただ中に童子の顕現を招来することなのである」と著書で述べています。まさに「翁童存在」と「翁童文化」の招来なのです。
「十牛図」はサンレーグランドホテルの宗遊院に展示されていますが、私はぜひサンレーグランドホテルそのものを単なる高齢者施設としてだけではなく、子どもを取り込んだ翁童施設としたいと考えています。そこでは当然、折り紙、縄ない、メンコやおはじきなどの昔の遊び、昔話などの伝承も視野に入れています。こういった世代間の文化伝承のお手伝いができるのは、私ども冠婚葬祭業を置いては他にないと思います。
七五三に話を戻します。六月号で、射精の瞬間から数億倍の競争がはじまると言いました。とかく生き物は、この地上に生れ落ちても、無事に成長できるという保証はありません。それは昔の人間にも当てはまりました。だから、七五三のように、子どもの無事の成長を祝うのです。人間の場合は、外敵もいないわけではありませんが、むしろ病気や飢餓で亡くなる子どもが多かった。貧しい家では、産むことさえ難しかった。人形の「こけし」とは「子消し」であり、生きていけないという事情があるにせよ、わが子を消すという悲しみから供養をした親の沈痛な心情が、そこには込められているのです。かくも子どもが無事に成長するということは大変なことだったのです。
だからこそ、七五三でわが子の成長を確認する喜びはひとしおです。子どもの方も、幼いながらも親の愛情を一身に浴びて育てられているという実感が、ハレの着物や珍しい千歳飴などから伝わってくる。幼いなりに、親に深く愛されているという安心感と満足感と感謝の念が心の中に湧いてくる。
私は常々、七五三などの通過儀礼をきちんとやっていれば、いじめも非行も家庭内暴力もないはずだと断言しています。ぐれて親を泣かせるような場面において、幼い頃の七五三の家族写真ほど反省を促す効力を発揮するものが他にあるでしょうか!私は、さらにアフター七五三の必要性も痛感しています。現在の子どもの性の乱れはひどく、泌尿器科の医院には女子中学生が性病にかかって来院することも珍しくないようです。
キスがチュー、セックスがエッチ、売春がエンコーと言い換えられるようになって、日本人の性はどんどんライト感覚になっていく一方です。青少年においてもしかりで、かつて東京都知事の石原慎太郎氏は、日本の少女たちの性の乱れについて、「ルイ・ヴィトンのバッグ欲しさに少女が平気で体を売る国など、日本以外に世界中どこにもない」と述べました。本当に情けないかぎりです。
沖縄には十三歳の少女を祝う生年祝いがあります。京都の十三祝いと同じようなものですが、大勢の親類縁者が集まって、大人への入り口に立った少女を囲み、「よく、ここまで成長したね。これから立派な娘になるんだよ」と祝宴を挙げるのです。少女は恥じらいながらも、皆から祝福されることによって良い意味でのプレッシャーを感じ、「この先、変な真似はできない」「みんなに心配はかけられない」という誓いを心に刻むのです。この十三の生年祝いは七五三のアフターであり、成人式のビフォアーでもあります。ぜひ、この素晴らしいセレモニーを全国に広めたいと思います。
七五三においても、少子化で一人当たりの子どもにかける金額は増加しています。最近では、東京のホテルを中心として、神式・衣装・写真・食事を一体化した「七五三パック」が人気を集めています。ぜひ、こういったトレンドには乗り遅れることなく、新しい七五三の文化をサンレーから発信してみたい。
それにしても、世の人々のお役に立てて商売にもなるとは、私たちは何というありがたい仕事をさせていただいているのでしょうか。
七つまで神の内よと 愛で育て
背中示せば 道を外さず 庸軒