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一条真也
オウム判決

 

初公判から実に十年が経過した。オウム真理教の尊師だった麻原彰晃被告(本名・松本智津夫)に対し、東京地裁は、求刑通り死刑の判決を言い渡した▼地下鉄、松本両サリン事件や坂本弁護士一家殺害など計二十七人を殺害した十三事件の首謀者の死刑が、控訴審で一度も公判が聞かれないまま確定したわけだ。被害者の遺族と国民が何ひとつ聞くことのできぬまま、知ることのできぬまま、裁判は終ろうとしている▼この結果に対して、「司法は役割を果たしたか」「弁護団の姿勢に問題あり」といった議論が新聞などで目立つ。問題の焦点が「法律」に移ったことに違和感がある。当然ながら、あくまでも「宗教」の問題である。日本の犯罪史上に残るカルト宗教が生まれた背景のひとつには、既存の宗教のだらしなさがある。あのとき、オウムは確かに一部の人々の宗教的ニーズをつかんだのだ。そのオウムは自らを仏教と称していた▼仏教に関する著書の多い五木寛之氏は、悪人正機説を唱えた親鸞に「御聖人、麻原彰晃もまた救われるのでしょうか」と問いかけている。核心を衝く問いだ。親鸞が開いた浄土真宗はもちろん、すべての仏教、いや、すべての宗教に関わる人々が真剣に考えるべき問いであろう。
2006年4月10日