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一条真也
八月九日

 

また、八月九日がやって来た。ソ連が日本に宣戦布告したあの日、アメリカの原爆ファットマンが投下された。第一目標は小倉の軍需工場だったが、八幡の上空にモヤがたちこめていたため、断念。第二目標であった長崎に、午前十一時二分、原爆が投下された▼これによって七万四千人もの尊い生命が奪われ、七万五千人にも及ぶ人々が傷ついた。現在でも多くの被爆者が苦しんでいる。本当は私の故郷であり、今も住んでいる小倉に落ちるはずだったと思うと慄然とする▼当時、私の母は小倉の中心にいた。原爆が投下されていたなら母の命は確実になく、当然ながら私はこの世に生を受けていなかった。長崎の方々に心からの祈りを捧げずにはいられない▼戦後六十年を迎え、日本人の慰霊への関心が高まっている。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえない。そんな想いから二冊の本を上梓した。『ロマンティック・デス~月を見よ、死を思え』(幻冬舎文庫)と『ハートフル・ソサエティ~人はかならず心に向かう』(三五館)である▼前者は死のとらえ方を変えるために、後者は生きる希望を生むために書いた。人類における冠婚葬祭の意味および互助会の意義についても言及している。ぜひ一読を乞う。
2005年8月10日