第3回
一条真也
「月を愛する日本人」

 

 日本人は月が好きです。日本文化を考えるうえでのキーワードは「自然」ですが、松尾芭蕉は、自然を「造化(ぞうか)」と呼びました。
 「造」はつくりだすこと、「化」は形を変えることです。英語の「ネイチュア」と見事に一致していますね。すなわち、ネイチュアとは、物ではなく運動なのです。そして日本の自然において、「雪月花(せつげつか)」がそのシンボルとなります。
 つまり、雪は季節の移り変わり、時間の流れを表わし、月は宇宙、空間の広がりを表わします。花は時空にしたがって表われる、さまざまな現象そのもののシンボルといえるでしょう。
 「造化」の三大要素の一つが「月」である意味はとても大きいと思います。日本では、明治の初めまで暦は中国にならって太陰暦を使っていました。いうまでもなく、太陰暦というのは月を基本にした暦であり、農耕のプランもそれによって決められていました。当然、日本人の生活全体にわたって月が深く関わってきたことがわかります。
 日本人の月好きは、太陽暦が採用された明治以降もほとんど変わりません。やっと昭和30年になって、石原慎太郎が小説「太陽の季節」を発表し、その翌年、弟の裕次郎の主演で映画化され、大ヒットしました。このヒットで「太陽族」という流行語まで生まれましたが、それも全体の流れからすれば単なる一時的な現象にすぎません。
 『古事記』の中の「天の岩戸」の物語など、いくつかの物語を除いて、日本文学史のほとんど全体が「太陽の時代」というよりも「月の時代」でした。それは、日本人の感性が月とぴったり合うからに他なりません。
 『古事記』や『日本書紀』には月読尊(ツキヨミノミコト)という月の神様が登場し、『万葉集』では月を「月人壮子(つきひとおとこ)」などと呼んでいます。そして、なんといっても日本には世界最古の長編小説である「竹取物語」というロマンティックな月の物語がありますね。また、月の美を描いた物語としては、『源氏物語』の須磨巻、『平家物語』の月見の章も有名です。
 平安時代に入ってからは、多くの歌人が月光のただならぬ美しさを和歌に詠みました。「三五夜中新月の色、二千里の外故人心」という中国の詩人・白楽天の詩句が平安時代の貴族に愛され、時間と空間を超えて、見る者に過去や未来、それに遠く離れた人を思わせる不思議な力の持ち主としての月が歌われました。これこそが、日本人の見出した月の美でした。
「月の色に心をきよく染ましや
  都を出(いで)ぬ我身なりせば」
 これは「歌聖」といわれた西行の歌です。西行の歌集『山家集』を見ると、月の歌が115首も入っています。この数は、歌集の常識を超えた多さです。とくに、右の歌は、西行が都を出て出家する時のものだと伝えられています。彼の人生における最も重要な場面に月が関わっているというわけです。
 西行が「歌聖」なら、「俳聖」といわれたのは芭蕉です。芭蕉もおびただしい数の月の句を詠んでいます。たとえば、
「名月や池をめぐりて夜もすがら」
 など、芭蕉の全発句937句のうち月を詠み込んだものが1割以上の106句におよんでいるのです。ちなみに、太陽を詠んだものはわずか数句にすぎません。
 明治以降は、「荒城の月」「月の砂漠」「朧(おぼろ)月夜」などの唱歌が長く愛唱され、歌謡曲では「大利根月夜」、民謡では「炭坑節」などが月の歌です。
 太陽をテーマにした歌がショートヒットしかしないのに比べて、月をテーマにした歌が多くロングヒットしている事実こそ、日本人の美意識が太陽よりも月に通じていることを示しているように思います。
 さあ、こころゆくまで、秋の名月を味わいましょう!