第4回
一条真也
「いのち」

 

 亡くなったあなたの愛する人の「いのち」は、本当に失われたのでしょうか?「いのち」はどこに行くのでしょうか?共に答えを探してみませんか。

●永遠のつながり

 「いのち」について考えてみたいと思います。いのちとは何でしょうか。「いのち」を「生命」と言い換えてみます。生命には情報が込められており、DNAという細長い分子が、親から子に生命の情報を伝えます。DNAは、情報をダビングできるカセットテープをイメージするとよいでしょう。
 話は変わりますが、2500年前の中国に、生命を不滅にするための方法を考えた人がいます。孔子です。それは「孝」という一文字に集約されます。
 「孝」とは何か。孔子の開いた儒教は、次の三つのことを人間の「つとめ」として打ち出しました。一つ目は祖先祭祀(仏教で言えば先祖供養)をすること。二つ目は、家庭において子が親を愛し、かつ敬うこと。三つ目は子孫一族が続くこと。この三つのつとめをあわせたものこそが「孝」なのです。  死んでもこの世に再び帰ってくる「招魂再生」の死生観と結びついて生まれた観念です。祖先の供養をすることは祖先の存在を確認することで、祖先から自分に至るまで、確実に生命が続いてきたということになります。
 さらには、自分という個体は死によって消滅するけれども、子孫があれば、自分の生命は生き残っていくことになります。わたしたちは、はるかな過去にも未来にも、祖先も子孫も含めみなと共に生きていることになります。
 これが儒教のいう「孝」なのです。

●「孝」があれば死なない

 この孔子にはじまる死生観は、生命科学におけるDNAに通じています。特に、生物の肉体は一つの乗り物で、生き残り続けるために遺伝子は乗り物を乗り換えていくという、イギリスの生物学者が唱えた「利己的遺伝子」の考え方によく似ています。「孝」について知れば、個体としての死など怖くなくなるのではありませんか。前向きな死への覚悟は、ネイティブアメリカンの詩からも読み取ることができます。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。(中略)
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
 子どもたちは、うちに帰ってきた。
 そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
「孝」の思想が流れています。「孝」があれば人は死なないのです。
 「いのち」は、つながっているのです!