義のマネジメント
一条真也
「大義名分を持たない者はほろびる」
仁と義を結んで「仁義」。「われらいかに為すべきか」という規範や規則が「義」です。この仁義と対立するのが功利であり、これは利益を指します。仁義に背いて功利に走ると、必ず失敗や災いが起こります。儒教には、「利は義の和」であり「義は利の本」という考え方があります。利は義を積んではじめて得られるものであり、利を主目的に行動すれば必ず矛盾衝突が起こる。中国の歴史・思想・学問に生きているこの確固たる信念や見識こそ、日本の財界人が特に心得ておかねばならぬ点なのです。
その日本の財界人の象徴的存在であった松下幸之助は「大義」を重んじ、「指導者はまず大義名分を明らかにしなくてはならない」としました。彼は著書『指導者の条件』で、近江の小谷城主浅井長政の例をあげています。
長政は織田信長の妹婿でしたが、信長が浅井家と旧交のある越前の朝倉氏を攻めたとき、突如兵を起こしてその背後をつこうとしました。窮地に陥った信長は辛くも京都へ戻ります。浅井家には、「信長は常に朝廷をいただき、天下万民のためという大義名分を唱えて戦っています。対してご当家のしようとしているのは、いわば小義の戦い。もし朝倉家との旧交を捨てるに忍びないならば、むしろ朝倉家を説いてともどもに信長の公道に従うべきでしょう」と諫める重臣もいましたが、長政は聞き入れませんでした。そして最後まで信長に敵対し、滅亡してしまったのです。
浅井長政は、優秀な武将でした。しかし、結局は周囲の諸国から孤立し、滅亡を招きました。その主因は、家臣が指摘したように、十分な大義名分を持たなかったからでしょう。一方の信長は早くから、乱世を統一し、朝廷を奉じ、万民を安心させることをめざしていました。そうした大義名分が、戦国の世に疲れた人心の共感を呼び、家臣たちもそこに使命感を感じ、働き甲斐を持って全力を尽くしたのです。
『指導者の条件』には、「いかに大軍を擁しても、正義なき戦いは人々の支持を得られず、長きにわたる成果は得られない」と書かれています。そして松下幸之助は、これは決して戦の場合だけではないと述べています。大義名分というといささか古めかしいようですが、事業の経営にしても、政治における諸政策にしても、何をめざし、何のためにやるということを自らはっきり持って、それを人々に明らかにしていかなくてはならない。それがリーダーとしての大切な務めなのです。