第13回
一条真也
「江戸しぐさに学ぼう!」
いま、「江戸しぐさ」なるものが注目を集めています。東京の地下鉄の各駅にポスターが貼りめぐらされ、小中学校の道徳教育にも取り入れられたとか。さらには、東京ディズニーリゾートのサービス・マニュアルにまで採用されました。いまやホスピタリティにおけるグローバルスタンダードと言えるかもしれません。
江戸しぐさとは、いったい何か。それは、江戸の商人を中心とした町人たちのあいだで花開いた「思いやり」のかたちです。
出会う人すべてを「仏の化身」と考えていた江戸の人々は、失礼のないしぐさを身につけていました。譲り合いの心を大切にし、自分は一歩引いて相手を立てる。威張りもしなければ、こびることもしない。あくまでも対等な人間同士として、ごく自然に実践していたものが江戸しぐさなのです。
しぐさとは、ふつうは「仕草」と書きますが、江戸しぐさの場合は「思草」と書きます。「思」は、思いやり。「草」は草花ではなく、行為、行動を意味します。「言い草」という言葉が「言い方」を意味することからもわかるでしょう。つまり、思草とは、その人の思いやりがそのまま行いになったものなのです。
「しぐさ」といえば、小倉発祥の小笠原流礼法が有名です。小笠原流は武家の礼法ですが、江戸しぐさは商家の作法。武士と商人の違いはあれど、ともに「思いやりのかたち」としては同じなのです。
具体的な江戸しぐさには、どんなものがあるでしょうか。いくつか紹介しましょう。まずは、江戸しぐさの代名詞ともなっている「傘かしげ」。これは、雨や雪の日に道ですれ違うとき、お互いに傘を外に向けること。雫がかからないようにとの配慮です。
「こぶし腰浮かせ」も有名です。乗合舟で後から乗ってきた客のために、先客たちが、こぶし分、腰を浮かせて詰め合せました。後の客は、そうした配慮に対して「かたじけない」とか「有り難うございます」と礼を述べてから座った。現代では、電車などの公共交通機関で求められるマナーです。若い者がシルバーシートに座って、お年寄りが乗ってくると寝たふりをするようでは、世も末ですね。
また、「うかつあやまり」というのもあります。たとえばJRの車内で、若者が中年の男性の足を踏んだとします。中年が「こら、痛いじゃないか!」と怒鳴れば、若者も「電車が揺れたんだから、仕方ないだろうが!」とやり返す。これでは必ず喧嘩になってしまいますね。
では、足を踏まれたとき、どうするか。踏んだ方があやまるのは当然ですが、踏まれた方も「足を出していた私も、うかつでした」と謝るのが江戸しぐさです。こうすれば、絶対に角が立たず、トラブルになりようがありません。大人の態度の極みですね。
そして、私が一番好きなのが「いなかっぺい」という言葉です。これは地方出身者という意味ではなく、相手の肩書きや貧富を聞いて急に態度を変える俗物的な人間をさします。井の中の蛙(井中っぺい)とされて、もっとも軽蔑されました。江戸の町人たちは差別を嫌った。もともと士農工商で社会の最下層に位置された商人たちは、せめて自分たちの世界の中では差別を生みたくないと考えたのかもしれません。
江戸しぐさ研究の第一人者である越川禮子先生によれば、江戸しぐさの根底には互助共生の精神があるといいます。人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、はたの目に気持ちいいもの、それが江戸しぐさなのです。
そして、忘れてはならないのが「講」の存在です。江戸町方では一種の相互扶助会の「講」というものができあがっていました。これが江戸しぐさを実際に機能させていく土台となってきたのです。
江戸の講は原則として、月に2回開かれました。そこでは、江戸を良い都にするためのさまざまな重要な問題を話合い、メンバーを「講中」といいました。リーダー的存在は「講師」です。「講座」も「講義」も「講堂」も「講習会」もすべてこの講から生まれた言葉です。当時の子どもたちは寺子屋で「講とは世の中のこと」と教えられ、漢字では「世間」と書くと教わりました。
さらに講では、「人間」と書いて「じんかん」と読みました。そこには「人間関係」の意味が込められていたのです。この講こそが互助会のルーツなのです。サンレーという互助会のミッションも、まさに「良い人間関係づくりのお手伝いをする」であり、江戸しぐさの精神とまったく同じなのです。
そして、江戸には「人は老いるほど豊かになる」という思想がありました。儒学の精神を寺子屋で学んだ江戸の町衆には、志学(15歳)、弱冠(20歳)、而立(30歳)、不惑(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)のしぐさがそれぞれあったのです。
彼らは、年相応のしぐさを互いに見取り合って、文化的、人道的に暮らしていました。たとえば歩き方にしても、志学の年代は駆けるようにす早く歩き、弱冠の年代は早足、而立の年代は左右を見ながら注意深く歩いたそうです。
18歳くらいの志学の若い者がぐずぐず歩いていると、20代の弱冠の年代の者がたしなめ、不惑の年代の者が若いつもりで駆けたりすると、腰を痛めるとされました。
耳順、つまり60歳の還暦の年代の「江戸しぐさ」は、「畳の上で死にたいと思ってはならぬ」「おのれは気息奄々(きそくえんえん)、息絶え絶えのありさまでも、他人を勇気づけよ」「若衆を笑わせるように心がけよ」でした。
60歳を越えたら、他人のためにはつらつと生き、慈しみとユーモアの精神を忘れないよう心がけたそうです。これを「耳順しぐさ」といいますが、その心得は、何よりも若者を立てることでもありました。
そして、そのぶん若者たちは隠居をはじめとした年長者たちを日頃から尊敬し、大いなる江戸の「敬老文化」が築かれていったのです。
こうした「年代しぐさ」のバックボーンには、越川先生の言われるように「共生」の土壌がありました。若者には、自分より体力的にハンディキャップのある年長者をつねに思いやる「くせ」が身についていたのです。
お互いに相手を思いやり、江戸では年長者も若者もみんな元気に楽しく暮らしていました。ぜひ、私たちも、江戸しぐさに学びましょう!