第3回
佐久間庸和
「祝いの心が人生に意味を与える」

 

 おかげさまで、先日、私の会社が創立四十周年を迎えた。祝賀会を催したところ、多くの方々にご参集いただき、感激するとともに、深い感謝の念を抱いた。
 世間ではさまざまな祝賀会が開催されている。ネットの検索サイトで引いてみると、たちどころに十万件以上ヒットする。その内容も、企業の周年記念をはじめ、叙勲、受賞、出版記念、還暦など、バラエティに富む。
 私の好きなポップス歌手のディーン・マーティンに「Everybody love somebody sometime」という名曲がある。日本語にすると「誰かが誰かに恋してる」となるが、まさに今この瞬間にも、誰かが誰かを祝っているのだ。
 私は「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えている。なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからである。それは、他人の「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置するものだが、実は両者とも他人の心に共感するという点では同じである。
 アメリカの牧師にノーマン・V・ピールという人がいる。世界中で二千万部以上も売れた超ベストセラー『積極的考え方の力』の著者であり、「ポジティブ・シンキング」という言葉を発明した人物である。彼は同書で「人に好かれるための10カ条」というものを示しているが、その中には「知人の成功に対して祝いの言葉を述べる機会を逸してはならない。同じように、悲しみや失意を感じている場合には、同情心を表す機会を逸してはならない」という一文がある。
 「人の不幸は蜜の味」などと言われる。確かに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できないが、だからといって居直ってそれを露骨に表現し始めたら、人間終わりである。社会も成立しなくなる。他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きであると言えるだろう。
 私たちは、人生で数多くの「お祝い」に出会う。三日祝い、お七夜、名づけ祝い、お宮参り、お食いぞめ、初誕生、初節句、七五三祝いなど、子どもの成長にあわせて、数多くのお祝いがある。さらには成人式や長寿祝いもあるし、何といっても結婚式がある。
 私は思うのだが、人生とは一本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅がある。「ステーション」という英語の語源は「シーズン」に由来するそうだ。季節というのは流れる時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路を時間に例えれば、まさに駅はさまざまな季節ということになる。そして、儀礼を意味する「セレモニー」の語源も「シーズン」だという。七五三や成人式、長寿祝いといった通過儀礼とは人生の季節、人生の駅なのである。
 それも、二十歳の成人式や六十歳の還暦などは、セントラル・ステーションのような大きな駅と言えるだろう。各種の通過儀礼は特急や急行の停車する駅である。では、各駅停車で停まるような駅とは何か。
 私は、誕生日がそれに当たると思う。老若男女を問わず、誰にでも毎年訪れる誕生日。この誕生日を祝うことは、その人の存在価値を認めることに他ならない。別に受賞や合格といった晴れがましいことがなくとも祝う誕生日。それは、「人間尊重」そのものの行為だ。当社では、毎月の社内報に全社員の誕生日を掲載して、「おめでとう」の声をかけましょう、と呼びかけている。