第2回
佐久間庸和
「沖縄の長寿祝いに学ぶ」
たった今、沖縄から帰ってきたばかりだ。当社が経営する那覇の結婚式場で行われた長寿の祝宴に参列してきたのである。沖縄ではそれを「生年祝」と呼ぶ。「守礼之邦(しゅれいのくに)」なる異名があるように、沖縄人は「礼」というものを何より重んじる。
当然ながら、そこには儒教の強い影響が見られる。儒教において「老い」は価値のあるものだった。孔子の言行録である『論語』為政篇には次の有名な言葉が出てくる。
「われ十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人の言葉が素直に聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道を外れないようになった・・・、この孔子の言葉は、老いることを衰退とせず、一種の人間的完成として見ていることを示している。
実際、孔子は非常に老人を大切にした。孔子の日常生活を具体的に記述した『論語』郷党篇によれば、町内の人々と一緒に酒を飲むときは、杖をついた老人が退席するのを待って、はじめて退席したという。孔子は町内の集まりでは厳格に「礼」を持ち出したりしなかったが、年長者を敬う態度はつねに変わりはしなかったのである。
その儒教の精神が生きる沖縄では、高齢者は尊敬され、大切にされる。私は沖縄の生年祝に何度も出たが、宴の最後には、必ず出席者全員参加のカチャーシーがある。そこは「礼」を中心に置きつつも、酒と音楽によって生を謳歌する世界である。というか「礼」を実践するには、酒と音楽が欠かせないのだ。
「酒に量なし、乱におよばず」という言葉が、やはり『論語』に出てくる。私たちはよく、酒も飲まず、色事にも興味を示さないような人を「聖人君子」などと言うが、孔子は酒を大いに嗜(たしな)んでいた。儒教には他の宗教のように、酒を飲んではならないという戒律はない。逆に「礼」には酒も必要であり、実際に郷(村)から中央に推薦される者を「郷飲酒礼」と呼ばれる酒席で送別するという「礼」があった。
そして、音楽。孔子は「礼楽(れいがく)」というものを何よりも重んじ、「礼」が音楽を通して実現されると考えていた。もともと音楽とは、人間の心をやわらげるものだ。
「礼」は天と人、君と臣、親と子といったように二つのものを結びつける力をもっているが、ややもすると、形式に流れやすい。そうなると、逆に二つのものを離すことになってしまう。「礼」というものは元来が「分(ぶん)」を尊ぶので、使い方を誤ると、自然にその弊害が生じるのだろう。
音楽は何よりもハーモニーという「和」を尊ぶものだから、二つのものをあわせる力がある。人々が集まって、一緒に音楽を奏すれば、そこにみんなの心が一つになるのである。
世界一の高齢化都市である北九州でも、ぜひ沖縄のように酒と音楽を楽しむ長寿祝いを盛んに行ってほしい。
私は北九州において、高齢者が「人は老いるほど豊かになる」と心から実感できるような長寿祝いをプロデュースしていきたいと私は思っている。幸福な老いをデザインすることによって、北九州は世界一ハッピーな都市になることができるはずだ。