私は、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』 『神道&仏教&儒教』 という2冊の本を書きました。
現在の世界情勢は混乱をきわめています。2001年に起こった9・11同時多発テロからイラク戦争へとつながった背景には、文明の衝突を超えた「宗教の衝突」がありました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教は、その源を一つとしながらも異なる形で発展しましたが、いずれも他の宗教を認めない一神教である。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。
一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道も、「慈悲」の心を求める仏教も、思いやりとしての「仁」を重要視する儒教も、他の宗教を認め、共存していける寛容性を持っています。自分だけを絶対視しません。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容であり、他者に対する畏敬の念を持っている。だからこそ、神道も仏教も儒教も日本において習合し、または融合したのです。そして、その宗教融合を成し遂げた人物こそ、聖徳太子でした。
憲法十七条や冠位十二階に見られるごとく、彼は偉大な宗教編集者でした。この聖徳太子がおこなった宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。
日本人の宗教について話がおよぶとき、かならずと言ってよいほど語られるネタがあります。
いわく、正月には神社に初詣に行き、七五三なども神社にお願いする。しかし、バレンタインデーにはチョコレート店の前に行列をつくり、クリスマスにはプレゼントを探して街をかけめぐる。結婚式も教会であげることが多くなった。そして、葬儀では仏教の世話になる。
もともと古来から神道があったところに仏教や儒教が入ってきて、これらが融合する形によって日本人の伝統的精神が生まれてきました。そして、明治維新以後はキリスト教をも取り入れ、文明開化や戦後の復興などは、そのような精神を身につけた人々が、西洋の科学や技術を活かして見事な形でやり遂げたわけです。まさに、「和魂洋才」という精神文化をフルに活かしながら、経済発展を実現していったのです。
神道は日本宗教のベースと言えますが、教義や戒律を持たない柔らかな宗教であり、「和」を好む平和宗教でした。天孫民族と出雲民族でさえ非常に早くから融和してしまっています。まさに日本は大いなる「和」の国、つまり大和の国であることがよくわかります。
神道が平和宗教であったがゆえに、後から入ってきた儒教も仏教も、最初は一時的に衝突があったにせよ、結果として共生し、さらには習合していったわけです。
日本文化のすばらしさは、さまざまな異なる存在を結び、習合していく寛容性にあります。それは、和(あ)え物文化であり、琉球の混ぜ物料理のごときチャンプルー文化です。
かつて、ノーベル文学賞を受賞した記念講演のタイトルを、川端康成は「美しい日本の私」とし、大江健三郎は「あいまいな日本の私」としました。どちらも、日本文化のもつ一側面を的確にとらえているといえるでしょう。たしかに日本とは美しく、あいまいな国であると思います。しかし私ならば、「混ざり合った日本の私」と表現したい。衝突するのではなく、混ざり合っているのです。無宗教なのではなく、自由宗教なのです。
私は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の間に「vs」を入れました。歴史および現状を見ればその通りですが、このままでは人類社会が存亡の危機を迎えることは明らかです。そして、神道、仏教、儒教の三宗教の間には「&」を入れました。これまた、日本における三宗教の歴史および現状を見ればその通りだからです。
そして、なんとか日本以外にも「&」が広まっていってほしいというのが、私の願いです。「vs」では人類はいつか滅亡してしまうかもしれない。「&」なら、宗教や民族や国家を超えて共生していくことができる。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教をはじめ、ありとあらゆる宗教の間に「&」が踊り、世界中に「&」が満ち溢れた「アンドフル・ワールド」の到来を祈念するばかりです。そして冠婚葬祭こそが、そのアンドフル・ワールドの入口に続いていると信じています。
冠婚葬祭が宗教を結ぶ。冠婚葬祭が人類の心を結ぶ・・・そんな夢を私は本気で抱いています。