政治・経済・法律・科学・医療・哲学・芸術・宗教などなど人類の営みにはさまざまなジャンルがありますが、それらの偉大な営みが何のために生まれ、発展してきた かというと、それはすべて「人間を幸福にするため」という一点に集約されるのではないでしょうか。そして、人間の幸福について考えて考えて考え抜いたとき、その根 底には「死」という問題が厳然として在ることを私たちは思い知るのです。「死」の 問題を抜きにして、人間の幸福は絶対にありえません。
「死」の問題を突き詰めて考えた哲学者にキルケゴールがいます。1849年に彼が書いた『死に至る病』は、後にくる実存哲学への道を開いた歴史的著作ですが、ち ょうど100年後の1949年に、かのピーター・ドラッカーがキルケゴールについてのすぐれた論文を書きました。論文のタイトルは「もう一人のキルケゴール~人間 の実存はいかにして可能か」です。
ここでドラッカーは、人間の社会にとって最大の問題とは「死」であると断言し、 人間が社会においてのみ生きることを社会が望むのであれば、その社会は、人間が絶 望を持たずに死ねるようにしなければならないと述べています。そして、人間の思考の極限まで究めたこの驚くべき論文の最後に、「キルケゴールの信仰もまた、人に死 ぬ覚悟を与える。だがそれは同時に、生きる覚悟を与える」と記しています。
来るべき「心の社会」とは、「死」を見つめる社会であり、人々に「死ぬ覚悟」と「生きる覚悟」を与える社会に他なりません。それは「死」という人類最大の不安か ら人々が解放され、真の意味で心ゆたかになれる、大いなる「ハートフル・ソサエティ」です。また、仏教では「生老病死」を苦悩とみなしています。「生きる覚悟」と 「死ぬ覚悟」は、「老いる覚悟」と「病む覚悟」にもつながっていることを忘れてはなりません。